『モンティ・パイソン日本語吹替版』が名演技なことについて。 | でびノート☆彡

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映画監督/演技講師 小林でび の「演技」に関するブログです。

 

『モンティ・パイソン』のTVシリーズのBlu-rayBOX、発売になりましたねー☆

しかも日本語吹替が今回は東京12チャンネル版とポニーキャニオン版の両方入っているという・・・長年コレを待ってました~!って仕様です。

 

グレアム・チャップマン : 山田康雄

ジョン・クリーズ : 納谷悟朗

エリック・アイドル : 広川太一郎

マイケル・ペイリン : 青野武

テリー・ジョーンズ : 飯塚昭三

テリー・ギリアム : 古川登志夫

 

いや~そうそうたる吹替メンバー。

『モンティ・パイソン』はもちろんコメディ作品・コメディ演技の金字塔なんですが、じつはこの日本語吹替版も名演中の名演なんですよ。

 

ボクは高校生の時に漫研の先輩にこのTVシリーズを見せられて、「殺人ジョーク」「スペイン宗教裁判」「死んだオウム」などの過激なギャグに衝撃を受けて、結果コメディ映画を撮る道に進んでしまうという・・・ボクが道を誤る原因のひとつになった作品なんですがw。

いま外国映画の日本語吹替のディレクター(音響監督)をやるようになったから身に染みてわかるのですが、声優さんの演技が物凄いんです。

 

『モンティ・パイソン』・・・キャラづくりが面白いとか、アドリブがキレッキレだとか・・・そういう派手な部分ももちろん凄いんですが、60~70年代には他にも面白いコメディアンはたくさんいた中で彼らパイソンズだけが時代を越えて愛され続けて「コメディ界のビートルズ」と呼ばれるようなスタンダードになったかの理由はもっと別にあります。

そんなパイソンズのコントの演技、そしてパイソンの日本語吹替の演技について、今回は書いてみましょう。

 

 

 

 

パイソンズのコントって人物造形がとにかくリアルなんですよ。

コントの演技が超リアル?って少し違和感あるかと思うんですが、そもそもコメディで何度見ても笑えるものって実は人物描写・感情描写がリアルなものが多いんです。チャップリンにしてもエディ・マーフィーにしてもミスター・ビーンにしても、若い頃の松本人志にしても東京03にしてもさまぁ~ずにしても、演技にかかってるデフォルメを外して見てみると、かなりリアルな人間観察がベースになっています。

 

そして社会風刺を得意とするパイソンズの演技は人物造形・・・イギリスのどんな階層の人物であるかとか、どんな業界のノリの人間であるか、どんな宗教を信じる人物であるとかの描写が詳細な特徴を捉えているんです(ここらへんが『モンティ・パイソン』の笑いはイギリス人にしかわからないとか言われる原因なのです)・・・もちろん演技にはすごいデフォルメは掛かってるんですが(笑)、芯がリアルなんですね。

 

そして6人の声優さんたちも、めちゃくちゃデフォルメした演技でありながら、芯の部分はリアルに声をアテています。

 

 

モンティ・パイソンの声優さんというと、やはり広川太一郎さん中心のアドリブ大会が印象的で・・・もちろんアレも凄いんですけど、ボクが音響監督視点で本当に「この声優さんたち凄い!」と思うのは、

画面上の俳優さんたちの感情の乱高下に声優さんたちがピッタリついていってること(これ超難しい!)、そして短いコントの中でどんどん変化してゆく人物像にピッタリついていってることなのです。

そう、アドリブで自由にやってると思われがちな彼ら声優陣ですが、意外や意外、かなりあの無茶なパイソンズの演技に忠実に演じているんです。

 

感情の乱高下で凄いコントと言えば例えば「ゲイの床屋さん(ランバージャック)」。

マイケル・ペイリン演じる床屋さん、じつは殺人鬼でハサミを持つとお客を切り刻みたくなっちゃう床屋さんなんですが(なんという設定w)、温厚な床屋からの「レザーカット・・・カットカット!切る!殺せ殺せ!」みたいなテンションへの上がり下がりのスピード感がホントにスリリングで(笑)

そんな感じに何度も何度も感情の乱高下をしながら、その「殺人鬼床屋」が後半なぜかだんだん「木こり」になっていって、最終的に「女装のマッチョマン」になって自己解放して幸せに・・・という文章で書くとなんだかわかりませんがw、とにかくこんなハードコアかつフレキシブルな演技に日本語吹替をアテるって、めちゃくちゃ難しいと思いませんか!?。

 

大抵の声優さんって「感情をベースに役を把握するメソッド」か、「キャラをベースに役を把握するメソッド」かどっちかで演じてるんで、こんな風に感情もキャラもコロコロ変わるような演技をしたら役の人物像がバラバラになっちゃうんですよね。感情が固定化して起伏が足りなくなったり、キャラが固定化して同じことの繰り返しになったり・・・つまり画面上の演技とシンクロしなくなって笑えない演技になりがちなんですが・・・声優の青野武さんは見事にぴったりシンクロして、しっかり笑えるんです。ちょっと見てみましょう。

 

 

このコント、相手役のテリー・ジョーンズがまた素晴らしいんですよねー。

 

この「ゲイの床屋さん(ランバージャック)」のコントで、床屋に来たお客さん役で登場して、もちろんその人物のバックグラウンドもなにも説明されないんですが、彼が店に入って来て「おはよう」と一言喋った時点で、その彼がイギリスのどんな階層の人間で、どんな常識観で生きているどんな人間なのかが視聴者にポーンと伝わっちゃうんですね・・・なんという人物描写の確かさ!&さりげない演技の中の情報量の多さ!

 

そして声優の飯塚昭三さんの声が「おはよう」と一言発すると、やはり階級とか人生観とか、また同じことが全て伝わってくる。しかも飯塚さんの演じる吹替のテリーは、元のテリーの3割増しでナイーブで優しさに溢れていて、だからコントで被害者の役を演じさせると天下一品に笑えるんですがw!ホントすごい。

 

そんな「ザ・保守的な常識人」の被害者を演じさせたらピカイチのテリー・ジョーンズ/飯塚昭三コンビなんですが、「常識的な男性」とは真逆の「非常識なオバサン」とかを演じても超面白いんですよね。

「スパム」のコントのやたらスパムを勧めてくる大衆食堂のオバサンとか、「招かれざる訪問者たち」のずっとゲラゲラ笑ってる下品なオバサンとか、すごいデフォルメかかってるけど、こういうオバサンいる!って感じがヤバい(笑)。

そんなテリー・ジョーンズ/飯塚昭三コンビのオバサン演技の決定版は映画『ライフ・オブ・ブライアン』の主人公の母親マンディ役でしょう。デリケートな主人公を悩ます無神経な母親、その無神経さが貧困と強烈な母性からきていることがこの映画全体に深みを与えています。たぶんこのオバサン、若い頃は可憐な少女だったんだろうなあと想像させるあたりも、吹き替え版が3割増しでいいですよ。感動できるコントです。

 

そう、パイソンズの演技って「感情をベースに役を把握するメソッド」や「キャラをベースに役を把握するメソッド」で動いてないんです。彼らがベースにしているのは階層やコミュニティごとの常識観や人生観で、「そんな世界の中でその役の人はどのように立ち回って生きている人物なのか」・・・その世界に対する観察と把握をベースに演じられているんです。学者肌というかw・・・イギリスのインテリ層の演技なんだと思います。

 

 

とにかくコントが始まって最初の「おはよう」とか「はいこんにちは」とか「ごめんくださーい」とかで、その人物がどんな階層の人間で、どんな常識観・人生観を持っているどんな人格の人物なのかが、視聴者にすべて伝わってしまう演技力こそが、『モンティ・パイソン』が同時代の他のコント群から一線を画していたところだと思います。

そしてそんなパイソンズの声優陣も、最初の一言で同じことをやってのけてしまっているところが、『モンティ・パイソン』日本語吹替の凄みですね。

 

インタビューで広川太一郎さんが吹き替えで大切なのは「キャラの雰囲気を演じる」ことだと言っていたんですが、その取り組み方がハンパないんです。

広川さんと言えば軽妙なアドリブでどんどんどんどん喋ることで有名ですが、インタビューによるとあれってすべて広川さんが前日に徹夜して台本のセンテンスを「生きてる日本語」に書き直しまくって、入念に準備したうえでスタジオでアドリブっぽく生々しく喋っていたということだったらしいです。

 

つまり広川さんのおっしゃる「キャラの雰囲気を演じる」っていうのはノリで演じるみたいな軽い意味ではまったくなく、役の分析を入念に準備したうえでその人物が醸し出している雰囲気みたいなものを削り出してゆくみたいな、そんな膨大な努力の上の「みなさんこんにちは」であり「ナントカなんだもの」であり「そうなんだよなって思ったりなんかしたんだけども、実はそうなんだよなやっぱり」だったんですね。

 

 

よく舞台の俳優さんからされる質問に「自分は舞台俳優で演技が大きいと言われるので、映像作品に出るにはやはり演技を小さくしないといけないでしょうか?」というのがありますが、ボクは演技の大小はあまり関係ないと思います。大事なのは芯の部分に真実があるかどうか。

 

その芯が無い「ただ大袈裟な演技」と、その芯に「デフォルメをかけた演技」はよく混同されるんですが、その小さな最初の一歩の違いが観客にとっては大きな違いとなって届いて、笑えないか笑えるかが決まってくるんです。

そしてそのデフォルメのかけ方にその演者のセンスが出るんですね。

 

『モンティ・パイソン』の日本語吹き替え版はその典型みたいな作品で、見る度に演技というものの本質について考えさせられます。

その日本語吹替はTV版が素晴らしいんで一番オススメなんですが、まあ長いんでw、パイソン初心者は映画版の『ライフ・オブ・ブライアン』あたりから始めることをオススメします。

ちなみにボクが一番好きなパイソン映画は演技のデフォルメが最もリアル寄りな『人生狂騒曲』なんですがw、でもあれは吹替声優メンバーが微妙に違ってるしなあ・・・もちろんスーパーデフォルメ演技の『ホーリー・グレイル』も最高だし、いま見ると『アンド・ナウ』の地味さも味わい深いんですけどねー・・・いや~全部日本語版で見返したくなっちゃったなあ(笑)。

 

70年代の声優さんたち、ホント最高。

 

小林でび <でびノート☆彡>