『アップのショットの意味が変わってきた。』 | でびノート☆彡

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映画監督/演技講師 小林でび の「演技」に関するブログです。

 

最近の映画を観ていて思うんですが・・・クライマックスシーンが顔のアップの長回しで描写される映画って多いですよね。

 

そもそも映画的と言われるクライマックスシーンって基本「引き画」だったわけです。

人間と世界の関係を描くような作品は引き画で世界と対峙する人物を描写し、アクション映画は引き画で人物のアクションを克明に描写し、恋愛映画は引き画もしくはツーショットで恋する2人を描写してきました。

そこに人物の「心情の説明」のために、顔のアップのショットが短く挿入されるわけです。それによって引き画のショットに戻った時にその画のエモーションがさらに際立つわけですね。乱暴な表現かもしれないですが、アップのカットってそういうものでした。

 

ところがテン年代に入る頃から状況が変わってきます。なんとクライマックスシーンを顔のアップの長回しショットで延々と描写する映画が次々とあらわれたんです。

長回しでなくアップの切り返しで描写する映画も多く、それはかつてのように短いショットじゃなく1ショット1ショットがかなりの長尺で、台詞を喋っている方の顔を映してゆくみたいなものではなく、表情の変化が起こる方の顔を常に映しています。

 

 

これはなんなのか?

 

つまり顔のアップのショットの意味が「心情の説明」ではなくなってきたんです。

 

なぜ長回しにする必要がでてきたのか?

 

「心情の変化を描写」するために尺が伸びてきているんです。

心情を「点」として描くのではなく、変化の「曲線」として描くのです。

 

たとえばアクション映画でも、個々のアクションに至るまでの心情の変化、もしくはアクションの結果の心情の変化が、アクションそのもの以上にエキサイティングな映画が増えています。『ミッション・インポッシブル』など最近の一連のトム・クルーズのアクション映画とか、『マッドマックス 怒りのデスロード』とかもそうでしたね。

 

 

この変化はなぜ起きたのか?

 

これはテン年代の映画が「コミュニケーション」もしくは「ディスコミュニケーション」をテーマにしたものが多いせいだと思っています。(現代の人間の悩みのぶっちぎりの1位は「コミュニケーション」らしいです。納得)

人種間のコミュニケーション、階層間のコミュニケーション、ジェンダー間のコミュニケーション、犯罪者の心理を理解しようとするようなもの、恋愛など、現代的な映画のテーマの多くはコミュニケーションがキーになっています。

 

たとえば恋愛映画も「せつない恋心」そのものを描くものよりも、好きな相手とどうやってコミュニケーションとるか、どうやって距離を縮めるかについての一喜一憂を克明に描写する映画が多くなっていますよね。

 

 

で、ここからが本題なんですが(笑)

こうなると、俳優が取り組むべき演技の種類も変わってきますよね。

 

かつてアップのショットが短い「心情の説明」だった時には、心情の演技は「状態」を演じればよかったんですが、いまは心情の「変化」を演じなければならなくなりました。

しかもその「変化」は顔のアップの長回しなので、超ディテールアップされています。

そのディテールの微細な変化の情報量の多さを観客は楽しんでいるんです。

 

もうさすがに心情を説明的な演技で演じるのは無理ですよね。

 

感情の変化を自分でコントロールしたのではその変化が直線的すぎて、そのディテールの量の少なさがアップに耐えられないんです。

ではどう演じたらいいのか?

 

自分の感情が演技の中で自然に変化してゆく。

 

テン年代の優れた俳優はだいたいこの演技法で演じています。

ヨーロッパの映画でも、ハリウッドの映画でも、韓国の映画でも、中近東の映画でも、メキシコや南米の映画でも。

 

では脚本通りに感情が自然に変化してゆくにはどう演じたらいいのか?

その具体的な技術については今後このブログで継続的に書いてゆこうと思います。

 

とりあえず「感情を説明的に演じることが許容される時代」はほぼ終わろうとしています。

映画館で最新の映画を観ましょう。

古い映画ももちろん素晴らしいですが、俳優のみなさんは「現代の人物」を演じる必要があります。

映画館で新しい映画を観て、すぐれた俳優の方々がどんな新しい方法で演じているのかをでっかいスクリーンでくまなく観まくりましょう!

 

すごくエキサイティングですよ☆