ゴロウ


 まっくろな猫は人をトリックにかける。

それは最近ではなくなったが、

視界に入る影やゴミ袋など何でもすべての黒いものは、

『ヤツがいる!?』と思わせることだ。


 ゴロウがいなくなってから、もう10年以上経ち、

わたしはその幻影から解放されている。


 こんな幻影に悩まされたのは私だけなのだろうか?

その答えは「いいえ」、母も弟も、同じだったらしい。


黒猫というのは意外と存在感があるのだ。


小学5年生からこの影に首を振り回してきた。


  なんだ・・・。

  っていうか、こんなとこにいるわけないよね。


猫の移動距離は家から半径1.5㎞くらいだそうだ。

そう、いるわけがない・・・。


2駅ほど離れた繁華街でもこういう調子である。

それにあまりに人ごみが多い場所もなかなか寄り付かないだろう。


 ゴロウの行動範囲ど真ん中の家の中では、

夜になれば黒い影だらけだ。


寝る時間になると、私は電気を点けず階段を上っていく。

そういう時には注意が必要だ。

電気をつけない状態の階段は、階段の立体による階段の影ができる。

そういうところにゴロウは寝るのだ!

なぜ?! わざと踏まれる位置、階段の影の中に体を置く。

ぐにゃり、と踏んだ感触はかなり驚く。

そういう事態を想定できていても、それなりに結構、驚くものだ。

それは猫の体を心配してのことだけど。

幸いに全体重をかけたことはないからゴロウは怪我をしたことはなかった。

・・・と思う。


「あひゃあっ!!」

「ゴロウ!!」

「なんで、こんなところに寝るんだよ!?」


---家族全員、経験あり。


本当に迷惑な猫だ。

題名 『踏まれにいく猫』でもいい。



 ゴロウはしっぽをふりふりして苛立ちをあらわす。

「シャアーーっ!!」

・・・勝手に怒るがいい、自業自得だ。



勝手な猫による抗議は空回りする。

「アンギャアァっー、ウワゥーゥゥウ・・・。」


何度、同じ経験をすれば学ぶのだろう。

これはひと夏過ぎて終わった。


そして、その年の冬、ゴロウは母の布団の足元にもぐりこむようになった。

また、ここでも寝返りをうった母に蹴られ、ゴロウは抗議を続けるのだった。

しかし、母の足元では毎年、冬になると繰り返しもぐりこんでいた。

相当、寝心地がいいらしい・・・。


 ここは死守したいらしい、ゴロウだった。

ゴロウは出ずっぱり猫だ。

常時、不在のようで日に3度の食事時には帰ってくるちゃっかり者ではあるが。


なにをしているのだろう?

まあ、縄張りのパトロールだろうと思われる。

それでも雄猫なので旅に出てしまったのかと心配だ。


そんなゴロウに対して不満を抱えている人間が一人いる。

私だ。


さびしい・・・

構いたい・・・


身勝手だがこれが人間の性というやつではないか?

たまにゴロウが出れないように出口を閉じてしまうことがあった。


「たまには内にいなさい!」


1Fのすべての出入り口の鍵を閉めてしまう。


「んにゃああああ、んにゃああああ」


ゴロウは声を荒げ、家の中を鳴きながら歩き回る。

ふふん、と無視する私。


ゴロウはあきらめない猫で、庭への窓、引き戸を前足で開けようとする。

せいぜい3キロくらいの体重で、立ち上がり両の前足をひっかけ、身をくねらせている。


(無駄なこと・・・。)


ゴロウのことは忘れ、私はテレビを見ていた。

視界の端に庭の景色が見えている。


ドベっ!!


(は?)


視界の端で黒いものがすごい速さで落ちてきた。


(すごい音がしたが?!)

目を疑う!

なんと着地したものはゴロウだった!


「へ?!」


「ごっ!?ご、ゴロウ~っ!!」

窓にかけより引き戸に手をかけ開けようとするが、ゴロウは走ってあっという間に庭を出て行ってしまった。


「なんなんだ、あいつは!?」

(落下傘?・・・みたいだった。)


ゴロウは2Fのベランダから落ちてきたのだった。

(そういえば、そこは鍵閉めてない。)

この脱走劇は後に1回、計2回ほどあったと記憶している。

2回目にはさすがの私も折れ、閉じ込める、ことをやめた。


だって、着地する音は『どべっ!!ドスンっ!!』てすごい音はするし、

なんだか足から着地するというより、顎から『バイン!』って地面に打ち付けてるように見えるから。。。


そこまで出たいのか・・・。

私は痛みをものともしないゴロウの意志の強さを尊重することにした。


それにしてもゴロウが地面に着地した時の姿は吹き出してしまうような無様な恰好だ。

猫にしては「着地が下手くそ」なのだろうか。


 ゴロウのトイレは人間のトイレの前にかろうじてあるスペースに置かれた。

これがちょうど良い。

人間が用を足す場所に自分の用を足す場所がある。


 ゴロウもタカタカ一人前に歩けるようになると、寝床とトイレは別になり、その区間がだいぶ広がった。


 しかし、その時の私は知らなかった・・・。

ゴロウが私の後を追ってトイレに侵入していたことを。

振り返ると見上げた子猫がちょこんと座っていた。

つぶらな瞳で私のトイレシーンを見ていたのだ。


 我が家は借家ではあるが、一戸建てであり、なかなかの広さだった。

1階に和式トイレ、2階に洋式トイレがある。

私は子供の頃、トイレのドアをきちんと閉めない子だったので、

わずかな隙間から小さな頭をぐりぐり押し当て、自分の体が通れる隙間を作り、

おしりを向けた私の様子をずっと見ていたのだ。


「!!!っ」

「ゴロウ!!」


こんな子猫相手でも見られていたと思うと、カーッッと恥ずかしさがこみあげてくる。

「も~、なんでいるの!?ゴロウ!?」


ゴロウは子猫らしく無垢な瞳で見つめ返してくる。

(・・・・・・・・。)


この時は知らなかった。

ゴロウがとんでもなく学習能力のある猫だとは思わなかった。


ゴロウも大人になった頃、ある日、トイレのドアを開ける私。

ふと振り返った先客。


ゴロウだった!!

ゴロウは和式便器を器用にまたぎ、振り返って私と目が合っている。

茫然と私は見つめ返す。


ゴロウは何でもない様子で次の行動に移す為、足場を変えながら何かを試すように見えた。

私はゆっくりと目を動かし、ゴロウの様子を静かに見守った。

(声も出せない、目を疑うとはこのことか!?)


 ?ゴロウは考えを変えたようだ。

便器の前後、人間の使い方とは逆に、おしり側のカーブに前足を乗せ、頭側に自分のおしりを向けている。続いて後ろ足をサイドにうまくかけ、踏ん張るスタイルになった。


(まさかっ!!!)


まさかである!

ゴロウは人間と同じ様にやって見せたのだ。

用を済ませたゴロウは便器の中、水の上にプカプカ浮いている自分の物をじっと見下ろしている。

そして・・・


「やめて!ゴロウ!」

悲痛な私の声が響き、ゴロウは水の中に前足を入れ、かき混ぜている。

(砂をかける行為か・・・。砂は無いのに!?)


 私は我慢ならず、ゴロウの前足をつかみトイレットペーパーで拭った。

そのまま洗面台まで運び、前足と後ろ足を石鹸で洗ってやった。

ふう、と一息つきゴロウを投げ出した。

タンッ!!

着地したゴロウはいかにも不快そうな顔をしている。


「失敬な!!」

とでも言いたげだ。

その顔が猫らしくもあり、高貴な人間をも想像させる。

(貴族か!?)


ゴロウは前足をチロチロ舐め、しっぽを苛立たしげに動かしている。


「も~!あれはあれでいいけど、やめてよね!」

なんだか褒めてやりたい半分、叱りたい半分である。

前足を便器に入れる前まではパーフェクトだったのだ。


いや、いけない。

これは褒めてやることなのだ。

ゴロウは悪くない。


気を取り直して、買い物から帰ってきた母に、ゴロウが今しがたやった事の詳細を説明してやった。

母は信じられない、という調子で笑っている。

私もゴロウを見ながら、先ほどの光景が信じられない、と腹の底から笑った。

ゴロウは「知らない。」という顔で、そっぽを向いている。

私たちの会話を理解しているのか、時折、耳だけがこっちにピコっと向いたりしていた。


 余談だが、子猫のゴロウは外に出歩き始めた頃、庭から始め、徐々に出かける範囲を広げていった。

私は庭を散策しているはずの子猫の姿が見えないとふと気づいた。

(あれ?)

しばらくした後、探したほうが良いかと考え始めた頃、黒い子猫が弾丸の様に家の中に駆け込んできた。

(何か怖いもの、それとも他の大きな猫に出会ったのだろうか?)

「ゴ、・・・・。」

言いかけるも、ゴロウは私を素通りし、玄関の方向へ走って行った。


ダダダダダダ!(バッバッバッバ!)

絨毯にゴロウの爪が引っ掛かる音もついでに聞こえてくる。

彼が目指したものは・・・・、トイレだった。

(゜o゜)

追いかけて見たその先では、ゴロウが猫用トイレに収まり、カッと目を見開いている。

どうも、ブルブル小刻みに震えているようだ。

(そ、それほどまでに我慢して家に戻ってきたんだ・・・。)

私はあっけにとられ、息を飲み込んだ。

「ふっ!!!」

吹き出した途端、トイレで踏ん張っているゴロウを前に大爆笑してしまった。

ゴロウは大笑いの私など相手にしている様子はない。

だって、一大事だからだ。


この時も私は買い物から帰ってきた母に教えてやった。

何をしてもゴロウは私たちを大笑いさせてくれる、面白い猫だ。

ゴロウはどう思っているのか知らないが・・・。