高塩 愛子 | リフレクションペーパー

高塩 愛子

05w2111020B 高塩 愛子

まず、先日帰国されたばかりだという岡部様、お忙しい中中央大学までお越しいただきありがとうございました。

 私は今回お越しくださるゲストの方が、今までの方とは少し違った、“企業”の方で、しかもご自身で会社を立ち上げられた方という事でいつもとは少し違った気持ちで望んでいた。正直、私はdevelopmentライブ!で開発コンサルタントというものを知るまで、企業として開発を行っているところがあることを知らなかった。開発と言えば、政府機関や国際機関、またはNGONPOが行っているものだという勝手な先入観があったため、“企業”という言葉を聞いて違和感を覚えてしまっていた。“企業”という言葉を聞くと、まだ自分の中で「利益追求」とつながってしまい、そのような機関が開発を扱う事に違和感を持ってしまっていた。

 岡部様はもちろん利益のことばかり考えるような方ではなく、今までの政府機関やNGOからのゲストの方々と同じように途上国にとってより良い開発を考えていらっしゃる。しかし今、私自身の中で開発を行うこと自体に対して疑問を抱いているため、岡部様のお話も疑問を抱きながら聞くこととなった。私の抱いた疑問は、開発コンサルタントだけに向けた疑問ではなく、開発そのものに対するものであるが、そもそも“プロジェクト”が本当に途上国の求めるものなのであろうか。どれだけ相手国のニーズに沿うように考えたとしても、プロジェクトを考え出すこと自体が先進国側からのスタートなのではないか。現地の人間の立場に立って考えることが大切であるが、本当に現地の人間の気持ちになったら、開発など必要なく、今の自分たちの生活で十分満足なのではないだろうか。「現地の人に満足してもらえる開発」という前に、相手に不満の感情を起こさせているのが先進国なのではないだろうか。岡部様のスライドの中に「プロジェクトとは、何らかの問題・課題を解決すること」とあったが、そもそも先進国が何も働きかけをしなければ、当事国にとって問題など存在しないのではないだろうか。例えば「インフラ設備が整っていない」と言っても、それを問題視していることが先進国の勝手になってしまうのではないか。「開発プロジェクトでよく見られる欠陥」の中には「関係者にやる気がない」というものがあったが、やる気がないのは必要性を感じていないからであって、なぜそのような国にプロジェクトを持ちかける必要があるのだろうか。私はまだ知識がほんの点程度しかなく、極端な考えではあるが、「より効果的・効率的で相手のニーズにあった開発とは何か」を考える前に、“開発”というものが世の中にとって必要なのかがわからなくなってしまった。

 developmentライブ!の授業を履修したことで、新たな発見、広い視野、感動など得たものはたくさんだが、最後にひとつ「開発とは必要なのか」というとても大きく根本的な問いが私の真ん中にドンと居座ってしまった。しかし、ただゲストの方々のお話に共感し感動するだけではなく、結果として自分の1番の問いを持つことができ、大きな収穫だと思っている。