沼尾 咲絵 | リフレクションペーパー

沼尾 咲絵

05W2116011G 沼尾咲絵

 今回わたしたちはこのプレゼンを作るために、多くの時間を費やした。情報収集をし、議論をし、個人レポートを数回書き、また議論した。尽きない議論、堂々巡りの繰り返し、また時に「世界銀行」という組織の果てしなさに狼狽し、また時に「貧困」という感じ切れない現実に苛立ちを覚えた。「国際機関とは何か」「貧困の定義とは何か、そもそも貧困を定義することに意味はあるのか」「MDGsの対象者は誰か」答えの出ない問いに遭遇するたび、ちっぽけな自分を強烈に意識させられた。知識の底を感じた。いや、知識だけでなく、これまで意識しなかった問い、やりすごしてきた問いの大きさに、「気づけなかった」自分自身の底を感じた。ひどい自己嫌悪にも陥った。ある議論の最中、確か私たちがリサーチを開始して間もないころであったと思うが(また、McMichealの読み物にもだいぶ影響を受けていたが)、「MDGsも結局は先進国的な立場に基づいているじゃないか。『先進国』が『途上国』に与える、という形式は、植民地時代となんら変わりはないじゃないか。MDGsに掲げられている目標は、現実の伴わない理想論でしかないのではないのだろうか。ではなぜMDGsは立てられたのか?」と議論が憤ったことがあった。そのときメンバーのうちの一人が「事実、これによって救われている人がいるからではないのか」と言った。例えその形式は変わらないとしても救われている人がいる…。「本質」が見えない議論の隙間の、こういった「気づき」を通し、私たちは少しずつ前進していた(ような気になっていた。)

 プレゼン発表が近づくにつれ、「形にしなくてはならない」というプレッシャー、作っては途中で崩れていくロジック、投げ出したくなった。班員の足並みがそろわないことに苛立ち、信頼関係など、私たちは作れないのではないかと、絶望に似た汚い感覚も、正直感じた。何より、自分が嫌になった。

 しかし、結果、わたしたちは「ひとつのもの」を「みんなで」作ることができた。後ろを振り返れば、その道は雨上がりのどろんこに、そのまま固まってしまったいくつもの足跡たちのように、決して「まっすぐ」でも「一本」でもないし、「整った」ものでもない。ぬかるんだ道は、歩きづらく、必死に進もうとすればするほど思うように進まず、靴は汚れ、疲労感だけが増していった。しかしその後に残ったものは紛れもないわたしたちの残した「足跡」であり「軌跡」である。誇らしくはないが、恥ずかしくもない。

 ねえみんな、もう「世銀班」として同じ目的につながるどろんこ道はないけれど、これからはそれぞれのどろんこ道を、またがむしゃらに歩いていこう。みんながそれぞれのどろんこ道で、もがいていると思えば、先に進む勇気と元気が沸いてくるような気がします。

 最後に、私たちを支えてくれた履修生のみんな、本当にありがとうございました。また、至らない私たちのせいで、モモにもたくさんの負担をかけてしまい、申し訳なく思っています。