岩瀬慧
05W2111017H 岩瀬慧 私は今回、プレゼン班だったからこそ、様々な知識を得た。具体的には、MDGsを策定したのは世界銀行であるという世界銀行東京事務所ホームページの記述を鵜呑みにしてしまったこと。たとえその記述があっても、本来ならばMDGsの策定された背景の動きを調べれば、国連加盟国の決定(つまり国連総会)が主体であることを考えれば、本質を捉えることはそう難しいことではなかったと思った。また、GDLNに関する質問においても、安易にMDGs達成のために活用すべきであるという内容にしてしまったが、エイズの効果的な予防とはなんなのかについて全くリサーチをしないまま質問として提出してしまったため、大森様に全うなご指摘を受けるまで自分の稚拙なやり方に気づくことができなかった。エイズに関することにしても、村単位で教育者を育むべきなのか、そうだとしたらどこに呼べば教育できるのか、一ヶ月もあれば当然調べ終えていたはずのことをご講演で指摘されてしまった。さらに、IBRDとIDAの違いなど、何度も何度もチェックをしてこれ以上自分にできることはないと思ってプレゼンにもちこんだスライドが、大森様のご指摘があったからまだいいものの、オーディエンスの皆に間違った情報を教え込むところだった。私は今回、全く持って「本質」を見落としたプレゼンテーションを行ってしまった。
では、以上のことはどうしておきてしまったのか。具体的には、世銀の総裁が変わったことに伴う世銀の動き、IBRDとIDAの資本の違い、GDLNの目的と活動、貧困の指標などに関して、少なからず見聞はあった。大森様にご指摘されたところは、大方全くその通りであるのだが、既知な部分も少なくなかった。するとなぜプレゼンではあのような事態になってしまったのだろう。それは情報の取捨選択である。私たちは、世銀に纏わる圧倒的な情報の波に呑まれまいと、正当性をどこかに定めようとしていた。そうすることで本質に関する見解が傾いたものになってしまうことに気づかなかった。ただ期限に迫られて焦る気持ちが、それに拍車をかけていた。いくら話し合っても結論が漠然としてしまったときに私たちは、立体的な本質をうやむやにし、手を伸ばせばしっかりと握れるものを渇望していた。そうすることで安心を望んだ。安心は、妥協を意味し、妥協は歪曲した理解を残した。本質を見極める前に違う方向に走ってしまったのである。
プレゼン自体に関してもそうだった。私はプレゼンが大好きだ。しかし今回は、やっていて楽しいと思えたことはなかった。不安を押し固めるだけで精一杯だった。モモに、大森様にプレゼンのやり方のご指摘を受けたとき、ひどく後悔した。もっと楽しくやりたかった。また、私たちがもっとチャレンジした内容のプレゼンができていれば、あの講演会のクオリティーもさらに高まっただろうと思うと、皆に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。だが、同時に、この境地に達せれたことと、世銀を選んで、あのメンバーでできたことだけは、私の誇りになった。大森様にはこのうえない感謝をしたい。