藤井 玄樹
最初に、わかりやすく具体的なお話をしてくださった上田奈生子様に感謝をしたいです。
日本政府の開発援助は1954年にコロンボ計画加盟に始まったこと、現在も国際的に進行しているミレニアム開発目標の内容など、調べようとしなければ知らないまま暮らしていただろうと思います。日本の政府開発援助について調べ、開発援助に関係する組織は総合的に活動を実施しているということを感じていました。そして、開発をするのだから部分的な援助では上手くいかないのだろうと漠然と考えていました。しかし、日本の掲げるODA大綱の「効率性」に関しての上田さまのお話から、別の視点を持つことができました。例えば、日本が、A国と話し合った結果、教育のために学校を作る援助をしようという話になる。そこで、同時に教師・教科書の強化もしたほうが効率は上がるのではないかと考える。こういった複数の計画に関係を持たせて行うことをスキームの連携と言うそうで、スキームの連携によって効果的な計画を立てようとしているというお話でした。私の感じていた総合的な活動というのは、「効率性」を求めた結果だったのだと考えています。
「効率性」と同じように、相手国と信頼関係を築くことで「我が国の安全と繁栄に資すること」がODAを行う目的であると、ODA大綱に明記されています。開発援助と聞くと、誰かのためという印象を抱きがちになっていましたが、実際はあくまでも国益のためなのです。ここまでは事前の調査で分かっていたことですが、では事実として、例えば中国とどの程度深い関係を築けているのか等はわかりませんでした。日本のODA活動は広く知られていないという指摘があることに対して上田様は、日本のODAを広報するためにカルタ作りをしていること・NGOと現地に行く前にも行ったからも話し合いを重ねていることなどが、広く取り上げられるのは難しいという理由を挙げていました。また、講演当日に記念品としてメモをいただいていたのですが、それを広報の一環であるという見方はかけていました。メモをいただいたという事実以上のことに考えがまわっていなかったのです。
「いま私にできること」といった文句は良く聞いてきました。記憶にあるのでも小学校高学年からあります。しかし、この馴染みの文句が、今回のお話を聞いて、私の中での意味が大きく変わってしまいました。開発は上田様にとって何ですか?という質問のお答えの中に、「逆に、開発にとって私は何なのか、ということを考えました。」という言葉があり、ハッとしました。そして、なぜ今までその視点を持てなかったのかを考えると、自分の中にあった受身の態度が見えてきました。書かれている事について考えを重ねることをしてきた事は、否定できないし、それなりに実っていると感じています。しかし、書かれている事以外のことを、つまりその前提となるものや書かれていること以上の大きな存在に対しての感覚が弱かったのだと思っています。そして考えるということは、重ねることと、掘り下げること、二つの方法があるとこを知ることができました。