Philosophy of Development ~第9章 ユーラシアの内陸諸国をめぐって | 由川 稔のブログ

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モンゴル、ロシア、カザフスタン等と付き合って、早30年以上経ちました。軽い付き合いも重い付き合いもありました。いったい何をして来たのか…という思いもあります。「近代化」、「自由化」、「開発」、「資源」等をめぐる国際的な問題について、考えています。由川稔

「近代化」や「自由化」、国際的な「開発」の問題や「資源」の問題に関する箴言の備忘録

 

9章 ユーラシアの内陸諸国をめぐって

 

1.21世紀のシルクロード

 

(2)関係各国の事情

 

a. モンゴル国

 

当国が主力産品の一つである石炭を、もしも中国以外に輸出しようとするならば、今のところ中国経由かロシア経由かの鉄道輸送によるしかない。

中国経由の場合、石炭を単に中国領内を通過輸送させることが困難で、現実的には中国企業が一度輸入し、それを日本等第三国に転売する形が取られる。しかし中国企業なら何でも通用するという訳でもなく、中国国内、秦皇島までの輸送許可や、そこからの輸出ライセンス等も必要で、そういった要件を満たす大企業は少ない。(また、中国国内での販売を考えても特に近年は需要が抑制されている他、中国内の輸送能力や貯炭場の容量の問題もあって、モンゴル側としてはますます厳しい)[8]

他方ロシア経由では、輸送費が嵩みがちで、ロジスティクス全般にも懸念材料が多いと言われる。先ず鉄道や港湾関係の業者の寡占的状況が、不透明な取引の温床となりがちである。また、例えば仮にモンゴル側で厳格に選別した石炭を用意してモンゴル国内で貨車にシートを被せても、ロシア領内を運搬中にシートを被せると追加料金を求められるなどして、価格面の取引条件が厳しくなる。さりとてシートを掛けなければ、異物の混入やすり替え等のリスクが高まる。異物を取り除く費用も業者の寡占のため高額になりがちで、加えて、もしも港でのスクリーニングをすり抜けた異物によって日本の例えば発電所等で機械が故障した場合、誰が責任を取るのか等、様々な問題が派生する。

 

同じ内陸国でも、スイスはドイツやイタリアやフランスを隣接国の市場として持ち、かつ海へアクセス可能で良好なインフラをこれらに依存している。しかし当国にとって隣国は、中国とロシアであり、この両隣国自体にも様々な問題がある。海までの距離だけ見ても、天津までで約2000km、ナホトカまでで約5000kmである。確かにかつて中国はモンゴル国産石炭の良い輸出先であったが、2012年は反転、中国内で在庫山積、動かなくなった。最近も輸出入自体はもちろん行われているが、品質面等、中国からモンゴルに対する要求は厳しさを増しているようである。またロシアはロシアで、石炭供給国としてはモンゴルと競合関係にあるため、自国産石炭の輸出を優先させたい事情もある。

2013年第1四半期、モンゴルは340万トンのコークス原料炭を輸出した。量で見れば前年同期比5.1%増であるが、金額的には2.09億ドル、同41.7%減となった[9]

世界平均で見て、或る国が1%成長すると、その外部波及効果で隣国の成長は0.4%増加すると言われる。しかし内陸国の場合はこれが0.7%に達するという。当然スイス等は、近隣諸国との間で好循環をもたらす経済構造を目指し、そのマーケットに自国経済を順応させてきた[10]

モンゴルにおいても、特に石炭等は中国の需要にも合った商品ではある。ただ、基本的に、その隣国の好況に煽られれば他力で浮揚出来る半面、逆に不況の際には道連れにされる可能性も覚悟しなければならない。

 

「アダム・スミス以来続く自由貿易vs保護貿易 だが、保護主義で栄えた国など一つもない!」といった考え方もある[11]

しかし、そこで「早い段階で貿易自由化や資本自由化を進めた」として挙げられている「台湾、韓国、香港、シンガポール」等のみならず、ブラジル等のラテンアメリカ諸国においても、その急速な発展の原資となった膨大な資金が米国の理路整然とした戦略の中で動かされたこと、即ち「日欧における過剰ドル存在⇒中東の原油価格上昇を米国が容認⇒日欧の過剰ドルの中東への流入⇒欧米金融機関経由によるオイルダラー吸着地としての新興産業化地域の発生」と相成ったことも知られている。更に言えば、これらの地域におけるその後の債務危機や経済の乱調、他面で「米国金融機関の世界大的展開舞台が創出された」ことも、視野に入れなければならない[12]

歴史から何かを得ようとすると、どの局面に着目するか、どこからどこまでを見るかによって、議論の流れは大きく変わる。ロイ・ハロッドも「自由貿易よりも完全雇用」として、自由貿易が至上の価値でないことを認めざるを得なかった[13]

日本ではTPPをめぐって賛否が鋭く対立しているが、モンゴルもまた国民経済の在り方を模索している。

 

当国は対外経済関係の多角化を試みる中で、ここ数年、日本との経済連携協定(EPA)締結に積極的な姿勢で臨み、ついに2015210日、EPAを締結した。

両国間の経済関係に関しては、最近1年間で日本からモンゴルへの輸出が約399億円、モンゴルから日本への輸出が約19億円と、日本が圧倒的な黒字を計上している。これは過去においても同様で、構造的にほぼ固定化していると言ってよい[14]

しかしこのように日本への輸出が相対的に非常に少ない立場であるにもかかわらず、2009年、バヤル首相(当時)が日本に対してEPA締結を要望し、以後も変わることなくモンゴル側が日本側に働きかけ続けた背景には、純経済的な思考と言うよりも、モンゴルが「第三の隣国」と位置づける国の代表格であるわが国との政治経済的な結びつきを「見える形」として確保することによって、国際的な信用度を高め、ひいては外国資本を導入しやすくするといった政治的意図が窺われる。

実際問題として、前述の2012年選挙の前、資源ナショナリズムに配慮した当時の政権が、国策に影響するレベルの重要な地下資源開発案件における外資の権益を制限する法律を定めたところ、図表6に見られる通り、外国からの直接投資は激減した。前述の通り、依存度の高い中国の経済成長の減速の影響も受けて、当国経済は成長率を急落させている中、外資や外債に期待する姿勢も顕著である。

特に外債については、2012から2013年にかけて「チンギス債」として、5年物を5億米ドル、10年物を10億米ドル、計15億米ドルを売り上げた[15]。また2013年末には、国際協力銀行(JBIC)が保証を付けた「サムライ債」の発行により、モンゴル開発銀行が総額約300億円を調達することになった[16]

 

【脚注】

[8]  鉄道輸送利権を独占してきたいわゆる鉄道省(鉄道部)の解体、中国鉄路総公司等への再編により、中国国内の輸送事情も変化する可能性はある。

ⅰ)201335日 ロイター電子版「中国、鉄道省を解体の公算 習新体制目指す政治改革の一環=関係筋」http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPJT834239720130304

ⅱ)http://www.itej.or.jp/assets/seika/topics/201305.pdf 

ⅲ)戴龍「中華人民共和国独占禁止法調査報告書(抜粋)」http://www.jftc.go.jp/kokusai/worldcom/kakkoku/abc/allabc/c/china2.files/china01.pdf 

[9] “Нүүрсний орлого 42 хувиар буурав” 2013412日 http://mining.news.mn/content/140407.shtml によれば、2012年第1四半期には3.58億ドルの収入をコークス原料炭の輸出から得ていた。20133月は、1月、2月と比べて輸出量は倍増したが、金額で見れば41%増に過ぎない。中国でのコークス原料炭の価格低迷が影響。

[10] ポール・コリアー『最底辺の10億人』p.95、日経BP出版センター(2008年)

[11] 伊藤元重「伊藤元重の日本経済「創造的破壊」論」第22回(2012123日)http://diamond.jp/articles/-/28747 

[12] 本山美彦『売られるアジア』p.14、新書館(2000年)

[13] ⅰ)ロイ・ハロッド「自由貿易よりも完全雇用」1976106日、日本経済新聞

ⅱ)下村治『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』pp.99100、文春文庫(2009年)

ⅲ)下村治はまた、同著で次のように述べている。

「経済とは何であろうか。何のために存在するのか。経済活動は何のためにあるのか。」「言うまでもない。生きるためである。」「人間は、仕事を通じてカネを手にいれなければ、一粒の御飯とて食べられず、したがって生きることは不可能だ。」(pp.9293

国民経済とは何であるか、人々が経済によって生きて行くためにはどういう条件が必要であるか、という問題が分からなくなっている。目に見えないのである。では、本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べどうやって生きて行くかという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。中には外国に脱出する者があっても、それは例外的である。」「その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である」(p.95

日本は明治維新から、日本列島に住む日本人に十分な就業の機会を与えながら、かつ、付加価値生産性の高い産業を育成し、それで十分に高い所得を実現する、という目標を必死になって追求してきた。ところが、雇用機会を増やすことと付加価値生産性の高い産業を育成することとは必ずしも簡単ではないばかりか、同時に実現することはできないものである。というのは、多くの人に就業の機会を与えるには、それ相応の人手を産業に吸収させなければならない。しかし、付加価値を高めるには、なるべく人手を減らして生産性を高める必要がある。このため、必然的に、生産高の割りには人手を多く必要とする生産性の低い部門と、徹底的に合理化して相対的に人手をあまり必要としない生産性の高い部門の両極端の産業が成立するようになったのである。したがって、今でも日本では、自動車のように生産性がきわめて高い産業がある一方で、コメに代表されるような、生産性のきわめて低い品目をむりやり維持している、という状況になっているのだ。日本人の多くが感じているように、GNPが高い割りに生活水準が思ったほど上がらない理由はここにある。どんなに生産性が高く、巨額の外貨をかせいでくる産業があったとしても、また、その結果として日本にどれほど外貨がたまっても、一方で、どうにもならないくらい生産性の低い産業を、国民の就業機会を確保するために温存している状態では、たとえば、世界一高いコメを食べることになり、生活水準がそれほど上がるはずがない。もちろん、アメリカ人などがこういう実情を見れば、そんなバカなことをなぜやるのか、と言うだろう。しかし、それに対しては、日本人がバカだから仕方がない、というほかない。外国人にそういうことはやめよ、と強制されることはないのだ。日本人が自分で選択していることなのである。ところが、国際貿易摩擦問題などが起こると、こういう点が、日本人自身にもなにかスッキリしないものを残しがちである。外国人が、なぜそういうバカなことをやっているのかと言うと、つい、それもそうかな、と思ってしまう。しかし、バカなことではあっても、外国に迷惑をかけるような悪いことではない。この点は明確に認識する必要がある。」(pp.7476

「十分な雇用の機会を与え、できるだけ高い生活水準を確保する、これが国民経済の根本問題である。そうして、世界経済は、こういう国民経済がからみ合って成立しているのである。」「為替レートや貿易自由化の問題も、実は国民経済の問題なのである。」(p.146

アメリカ政府が自由貿易主義を金科玉条にする背景には、多国籍企業の論理が存在すると考える。多国籍企業というのは国民経済の利点についてはまったく考えない。」「では多国籍企業はどういう考え方をするのか。単純に言えば、勝手気儘にやらせてくれ、ということである。」(p.105

「各国には歴史的な背景がある。そうして、こういう背景はたいていが硬直化している。このため進歩や変化との間で摩擦が生じることは日常茶飯事である。したがって、そういう問題を調整しながら国民経済が運営されるのだ。しかも、こういう調整作業は自己責任でやるほかない。どこか他の国が助けてくれるわけではないのだ。このようにして、各国がまず自己の経済を確立し、その上で利益を互いに増進できる形で国際経済が運営される。自由貿易というのは、そういう国際経済の中で選択できる一つの選択肢にすぎない。決して、自由貿易にさえすれば世界経済がうまくいくというものではない。ましてや、自由貿易のために政治経済が存在するのでは決してない。」(p.104

[14] http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000067692.pdf 

[15] チメドダグヴァ・ダシゼヴェグ、ダナースレン・ヴァンダンゴムボ「モンゴル経済を多様化させる金融の挑戦」(拙訳)『ロシア・ユーラシアの経済と社会』20145月号p.31、ユーラシア研究所(2014年)

[16] http://www.nikkei.com/article/DGXNASGC1601G_W3A211C1EE8000/ 

 

図表6

  

出所:モンゴル銀行 http://www.mongolbank.mn/eng/liststatistic.aspx?did=1_1 より、筆者加工。