良かった…
手術が成功したようです。
えぇ、はい。
実は手術したんですよ。
1号がね。
命に関わるようなものではありません。
手術が必須のものでもなかった。
QOLを上げるためのもので、彼が1人で手術を決めました。
この話を聞いた時、私は正直「必要ある?」と思いました。
彼は血が苦手なのに術後の出血は必ずあるし、全身麻酔で5泊だからある程度しっかりした手術でもあり。
そこまでしなくても…という思い。
でも、
1号は「楽しみだ」と言ったんですよね。
健康診断の採血でさえ大騒ぎなのに、
ささくれ程度でバンドエイド貼りたくなるのに、
術後の生活が「楽しみだ」と。
なので私も反対はしなかったし全てを彼に任せて見守っています。
ただ、切ない気持ちと安心した気持ちと両方ある。
切ないのは
それだけ彼は辛かったということだから。
そして、
手術でそれが改善されると私には確信できないから。
1号は、今までの生きづらさが今回の手術で一気に軽くなると思っている。
でも私は、手術で身体的な部分が改善したとしても、これまで抱えてきた生きづらさのすべてが解消されるわけではないと思ってて、ASD特性については、これからも本人なりに向き合っていく必要があると思っている。
そこは昔から今に至るまで、親子で認識にズレがあります。
でも、彼は自身のASDを受け入れ始めたばかりだし
私にだって、彼自身が手術に可能性を感じて選択したことに口を出すほどの自信はなかったから。
1号の選択を見守るしかない、というか。
まぁ、そんな?切なさです。
一方で、安心した気持ちとは。
こうやって自分で道を選べる年になったんだな、ということ。
1号の育児はとても難しかったです。
成長が早く勉強ができて人間関係のトラブルはない。
周りから見たら「問題ない子」なのに
彼はずっと困り感を抱えているし、それがどれくらいかというと学校に通えなくなったくらいなんだけど
そこを私が気づいて周りに話しても、信じて貰えないんですよ。
彼の笑顔だけ拾われ、しんどさ辛さに蓋をされ、「もう大丈夫だね」と言われる感じ。
だから私の育児はいつも孤独だった
話をすれば聞いてくれる人は山ほどいたけど、皆『腑に落ちない』んです。
当たり前だと思う。
私だって腑に落ちないこと沢山あるもの。
でも、腑に落ちなくても困り感は待ってくれず、次々とやってくる。
そういう子育ては
『伴走してくれる人が見つからない』です
1号はずっと努力を強いられ、ずっと疲れているのに、そこに気づける人はいなくって
私と一緒に彼に寄り添い、特性と向き合ってくれる人はいませんでした。
本来なら父親がそうあるべきだけど、彼はまぁ…今まで書いてきた通りの人なんで。
彼の悩みに寄り添うことはできません。
私が欲しかった伴走者は、病院の先生くらいでした。
だから、今回のことで
少し安心もしたんです。
もう私が1人で彼のことを
大丈夫に見えるけど本当はどうなんだろう、
何に困ってるんだろう、
何をしてあげたらいいんだろう、
と考えなくても
彼自身が、自分で自分のことを調べて対処できるようになってきたと感じたから。
彼自身も、伴走者を見つけることは厳しいかもしれないけど、
そこは、少なくとも私はわかっているし、
これから益々発達障害の知識は広まり理解を得る機会は増えるでしょうから、
今までのような孤独は味わわなくて済むかもしれない。
そこは少し、安心もしています。
この安心は、これから増えていくでしょうね。
うん、そう思いたい。
そうであって欲しい。
そうでなきゃならんだろ。
そんなことを、考えた日でした。
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