友達の息子くんが学校に行けなくなったまま夏休みに突入してしまったんだけど
その話を聞いて、1号の当時のことを思い出しました。
1号が不登校になった時、何が悲しかったかって『良い環境だったこと』なんだよね。
まず、担任。
当時の担任って、1号と相性がよかったんですよ。
大げさな励ましはしないけど1号の様子はしっかり見てくれていて、彼が気にしていた単位のデータを淡々と教えてくれました。
友達も、割とスンナリできたようだし、部活やバイトも特に大きな問題はなかったように思います。
良い環境で過ごせてるなと安心して見ていたし、本人も最後まで学校に行きたがっていました。
でも
身体が動かず
どうしても登校できず
そのまま単位が足りなくなり、完璧主義な彼に留年は考えられず、通信に転校となったんです。
転校が決まり数日後、私は当時の担任と校長に呼び出されました。
そこで私は強いショックを受けることになる。
こう言われたんですよ
「私たちにできることはありましたか?」と
このセリフ、どういうことかわかりますか?
頭の中に、ガーーンと重たいものを置かれた気持ちになりました
だって
良い先生、良い学校じゃない。
この時、1号は既に転校が決まった後でした。
ということは、もう学校が彼にすることはない状態。
あとは送り出すだけで学校の役割としては終わりだし、
その言葉で、保護者である私が先生方を責める可能性だってあるわけで。
それなのに(1号にしてあげれることはなかったのか)と、誠実に聞いてくれたんです。
だからこそ、私はショックでした。
こんなに丁寧に見てくれて1号のこと考えてくれて
この環境でも彼は適応できなかったのだ と、
そこに強いショックを受けました。
多分、先生方は、1号のことは勿論、後輩のためにも聞きたかったのかもしれない。
だって、これからもきっと、1号のようなタイプの子は入学してくる
その時に、教師として何ができるか
それを親である私に聞きたかったんだと思います 。
だから私も、何か言わなきゃと考えたんだけど、本当に何も思いつかなくて
「先生方には感謝しかありません」と、そんなことしか言えなくて
私だってわからないよ…とそう思いながら学校を出たら、涙がぽろぽろ出てきました。
そこには生徒さん達が沢山いましたからね。
ついこの前まで1号が着ていた制服姿の子を見るのが辛く悲しくて、駅に向かう道を外れ、遠回りして歩きました。
涙が収まるまで歩こうと。
そしたら、どんどん遠くにいっちゃって。
最終的に ここどこ!? っと、迷子になりましたけども(かわいそう)
もう何年も前の話だけれど、あの日のことを思い出すと今でも辛いです
不登校って学校で嫌なことがあったから行きたくなくてなるものだと思われがちだけど、そんなことはありません。
1号みたいな子もいます。
どれだけ環境が整ってても、それだけでは乗り越えられない子もいる。
こういう不登校のケースもあるということが伝われば、誰かの役に立つかもしれないと、今日の記事を書きました。
◇エックス毎日呟き中⇒まる@元カサンドラブロガー

