SNSでカサンドラさんと繋がってると、こんな意見をよく見ます
夫と物事を共有できない
同じものを見て共感し合いたい
それができずに悲しい、辛いと
これすごくよくわかります
私も同じこと思っていたから
でもカサンドラな状態から抜けた今
ちょっと考えが変わってきまして
最近は
本当にそうかな??
って気になってきました
今日はそこを掘り下げて書いてみますね。
例えば。
前回に書いたこの記事もそうなんだけど
読むのめんどくせーよ!って方のためにまとめると
『3号とのお出かけに夫が車出すと言ったのにホウレンソウなく好き勝手動くから疲れた』
と。まぁそんな話。
これね?
見方が2つあると思うんです
私がパッと思い浮かぶのはコレ
・家族の動きを考えない勝手な単独行動。お出かけを共有できない。
でも一方で
・夫なりのやり方で共有してる
とも言えると思う
もしかしたら、更に違う見え方もあるのかもしれませんね
要は。
「夫と〇〇を共有できない」となった時に
その前にこれつきませんか?ってこと。
「私の思うやり方を」ってセリフ
「私の思うやり方を共有できない」
こういうことなのかもしれません。
共有の仕方に正解は無いですから
ある人が見れば、
それは【共有できてる】ことになるのかもしれません
カサンドラな時にはわからなかったんです
こんな共有の仕方があるのか
こんな風に共感してたのか
そういうところ
私は
自分が普通で
自分が合ってる
だから、もっと
夫らしく、父親らしく
こう思っていたし、ここに囚われるあまり見えなかった
共感の仕方は多種多様であるのに
自分がわかりやすいやり方を無意識に求めてて、
そこから外れた夫は「おかしい」と
そんな風に感じてました
50人くらいの村を想像するといいと思う
もし自分が
50人の村に引っ越したとする
老若男女
国籍色々
そんな性別・年齢・文化…何もかも異なる村で過ごしたら?
果たして今の自分の価値観は通るのだろうか
そのくらい今ある環境をぶっつぶして考えた方が
カサンドラ問題は解決に近づくかもしれない
え、でもそんな村いかないし
自分日本人女子だし
となるなら、それでいいと思う
その気持ちを大事にすればいいと思う
ただ、カサンドラから抜けたいのなら
それなりの選択肢が必要になりますよね
何がいいかは人それぞれで
今日の記事は私に合う考え方はこうだった、というだけの話です。
それぞれが
自分に合う方法を見つけられるといいですね。
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