今回はデリーとムンバイに行く予定でしたが、急きょプネーの和尚リーゾートへ寄る事になりました
この写真は南インド・ケララのシヴァナンダ・アシュラムのものですが
自然の素晴らしい施設なのだそうで、凄く楽しみ
バグワン・ラジニーシ、和尚ラジニーシは様々な瞑想の仕方を説くスピリチュアル・リーダー。
ヨガやダンス、音楽を取り入れた瞑想や、詩も山ほど書かれてるので何冊か本を読みました。
和尚については詳しくなにのですが、心に深く残る詩や言葉が沢山あります。
そんな和尚ゆかりの地・プネーの和尚リゾートで踊れるのは楽しみだな~
一部、抜粋しました。略してるので本当はもっと素敵なんですが。
( オレンジ・ブック ~和尚ラジニーシの瞑想テクニック~より)
踊りや歌はバクティ・ヨガ(デボーション・献身のヨガ)といわれるのが良く解ります
踊りなさい
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動きが陶酔状態になったら、それが踊りだ
動きがあまりに全体的・トータルで、そこにエゴが無くなったら、それが踊りだ
踊る事の起源は踊りそのものではなかった
それは陶酔を達成する事にあった
そこでは【踊る人】が無くなり、【踊り】だけが残されてる
自我・エゴは無く、誰も操っていない
体そのものが自ずから流れている
歌いなさい
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歌う事は【神聖】だ
それは踊ることのみに匹敵するもっとも神聖なる活動の1つだ
それは、あなたがすっかりその中に消える事ができる活動だからだ
あなたは歌う事の中に浸りきれる
そうなったら、歌うう人は消え失せ歌だけが残る
踊る人は消えうせ踊りだけが残る
その時こそ、変容・変身の瞬間だ !
歌う人がもはやおらず、そこに歌だけがある時
貴方の全体性が1つの「歌、1つの踊りになる時
それが祈りだ
どんな歌を歌ってるかは無関係だ
それは宗教的な歌ではないかもしれないが、
貴方が全体・トータルに歌うことができるなら
それは神への捧げものになる
また逆もしかりだ
貴方がその中に全体的・トータルになっていなければ
それは世俗的だ
歌の内容はどうでもいい
大切なのは、貴方が歌うことに持ち込む質そのもの・・・・・
その全一性、その強烈さ、その情熱だ
他人を模倣してはならない
それはあなたのハートではないから
あなた自身の歌を起こらしめるがいい
韻律や文法は忘れなさい
【神】 はあなたの心・ハートに、よりいっそう関心をよせる