私の父親は、子供を押さえつけ、何から何まで自分にとって正しいと思うことを強制する人でした。
私は幼い頃から、子供っぽくなく、勉強しなくても成績もよく、やりたくないのに学級委員に選ばれ、先生にも怒られるようなことはない子供でした。
しかし、小さい頃から、ほんの少しでも反抗すると、何時間も押し入れに閉じ込められたりしました。
また、もう少し大きくなると、履き物も履かぬまま何時間も玄関の外に閉め出されたりしていました。
さらには、何時間も正座させられ、してはいけないこと、するべきことを書いた紙を暗記させられ暗唱されたりしました。
挙げ句の果てには、俺が食わしてやってるんだから俺の言うとおりにしろ、と言う人でした。
そして、いつも自分の考えを押し付けるだけで、コミュニケーションがとれない人でした。
それは今でも変わりなく健在です。
そして今回、父親についての根元だった恨みが癒されたあと帰省したことで、そういう親に育てられると、子供はとても苦しい人生を生きることになる事が見えてきました。
なぜなら、何から何まで親の言うとおりにするとしたら、それは自分の人生ではなくなり魂を封じ込められてしまうからです。
そして、親に操られたロボットになってしまうように感じ存在意義を失います。
それならば、自分でなくてもいいのではないか、自分でない方がいいのではないかとも感じ、この世界に居場所がないようにも感じます。
そして、自分を守るために反抗し抵抗します。
しかし、子供を押さえつけ強制しながらも、正しいことを言っているので、親に反抗することで何から何まで間違った方向に進んでしまい人生がうまくいかなくなります。
しかし、子供はその事に氣づけず、何とかうまくいくようにと頑張ります。
しかし、親に対する反抗や抵抗があるため、人生がうまく行くとパラシュートを付けたまま飛ぶ飛行機のように失速し墜落します。
また、頑張っても頑張っても自分の人生がうまくいかないのは、親に押さえつけられ何から何まで強制されたせいだと恨み、親に責任を取ってもらおうとしてしまったりします。
子供を押さえつけ、何から何まで正しいことを強制する親に育てられた子供は、その呪縛から自由になるためには、蓄積された感情や間違った信じ込みにひとつひとつ氣づき、認め、受け入れ、癒す必要があります。
そうして、本来の在り方へ戻る必要があります。
それは、生半可な覚悟ではできないことです。
しかし、それを受け入れ超えていくことができたなら、これ以上はない癒しと氣づきの鍛練となります。
