これもまた、光の表現だった。 | この星に愛を分かち合いに来た仲間たちへ 

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魂(を覆い隠しているトラウマや傷や感情を癒し、愛に満たされて幸せな本当の自分に目覚め、本当に望む人生を創造するサポートをしています。

昨日書いたこの記事で、
「こんな自分は、さすがにマズイよな」
と思っていた部分も、

実は、強みや才能の現れだっということが、今朝、目覚めたときにわかりました。





それは、過去生で修行者だったとき、
これは修行の妨げになる判断し、
抑え込んだものでした。

そして、抑え込まれたことで、
歪められネガティブな現れ方をしていたのでした。




これもまた、
普段お会いする人たちによくお話するのですが、

私たちは本質的に光の存在なのです。



でも、その光の上に
たくさんの感情や間違った信じ込みが、覆い被さっているので

外から見ると、泥団子のようになり

それが光だとは思いもよらないような、表現となってしまうのです。



千と千尋の神隠しに出てきた
川の神様のように、
その光が大きければ大きいほど
たくさんのものを抱え込むことができるので、
外から見るとよりそうとは見えない有りようになります。





でも、そんな自分も、そんな自分こそ、
そのまま認めてあげ、受け入れてあげ、愛してあげることが必要なのです。

すると、本質的な光を覆い隠していたものが癒されて溶けて消えていき、
本質的な光へと戻って行けるのです。





30年抱えて悩んでいたものが
光の表現だったとは。

人生というのは
宝探しのゲーム
のようなもの。

そのルールを知らないと
イタズラに苦しむだけだけど、
ルールがわかるほどに
苦しみというのは幻想だと
いうことが体感として
理解されます。