11月5日
頭だけで「私は誰か?」と瞑想すると現実を生きれなくなる。体に根差した瞑想をする必要がある。
と言う説明を聴き、昔を思い出す。
OSHOの世界に入ったころは、体を使ったアクティブな瞑想がメインだったので、他のスピリチュアルなものと違いフワフワ浮足立っておらずスゴイと思っていた。
以前は体を使った瞑想を中心にやっていたのに、いつの間にかそれが当たり前のようになり価値を忘れ、、いつしかやらなくなっていたことに氣づいた。
海の中の魚は、生みの価値を知らないのと同じだった。
特にこの半年一緒に迷走していた友人は、サニヤシンではないので尚更だった。
が、離れてみたことで、OSHOが残してくれた数々のアクティブな瞑想の価値を改めて知ることができて良かった。
ワンネスとは、あっちの世界もこっちの世界もひとつ。ワンネスを体験したら、こっちの世界をもっと逞しく生きられる。
と言う説明を聴き、以前から知っていたにも拘らず、すべてとの一体感に魅了され、「氣づきと体を繋ぐものはない。」という言葉を盲信し、現実を生きることができなくなった後だけに、その意味が深く沁み込んだ。
マンダラ瞑想
最初、自我が体を動かして走ろうとして苦しくなった。
途中から意識が変わり、意識が走ることを意図した。
すると体が自然に動いて楽しくなった。
自我が目を回そうとすると疲れた。
意識が目を回すことを意図し、眼が回ると楽で楽しくなった。
イキナリ本来の自己に戻ろうとすると、
一体感に我を失い、
体を通してこの世界に生きることができなくなってしまった。
3つのセンターを通して戻って行くと、
自我が退くほどに本来の自己が現れる。
氣づき、ビーイング、魂の3つが揃った感じが氣持ちいい。
この感じも既に何度も体験したことがある。
しかし、3つのセンターについての氣づきがなく、偶発的で、価値に価値に氣づけず、戻れなかった。
なぜハートだけだとうまくいかなかったかがよく分かる。
ハラと第三の目が忘れられていたからだ。
この後の瞑想では、ただただそのままでいたので、記録は残っていない。
氣づき・ビーイング・魂の三段階を体験し
魂に目覚めたい方は、