A
例えば花という対象物に氣づいているアウェアネスが有る。
本当のアウェアネスとは、この対象に氣づいていることに氣づいているアウェアネスだ。
それは単なるアウェアネスで、その中でことが起こり、過ぎ去っても決して影響されない。
対象物や出来事に対するアウェアネスを越えたアウェアネスが有る。
あなたはそのアウェアネスで
その中に対象に対するアウェアネスが存在している。
この本当のアウェアネスには名前がない。
名前をつけようとしたら問題が生じる。
あなたには名前がないし、形もない。
何も見ることはできない。
私は名前無し形無し、ということを知りなさい。
それが、私は自分のセルフに氣づいている、ということだ。
純粋の意識がその中にあなたを引っ張り込むのだ。
あなたがその中に入っていくというのではない。
もしあなたが入っていくというなら、それはエゴが入っていくということだ。
しかし、それがあなたを引っ張り込むとき、それがあなたを家に連れて帰ろうと決めたのだ。
理由はわからないが、これが起こっていることだ。
意識によってあなたが選ばれるというのは、非常に珍しい。
しかし、一度、それに引きずり込まれたら、その人の旅は終わりだ。
そう、アウェアネスに名前を与えたりしないこと。
さもないとそれはある人の観察の対称物になるだろう。
意識は決して観察され得ない。
それは完全そのものだ。
無限界、永遠そのものだ。
あなたは、それに溶け込んでゆかねばならない。
現実にはそれは溶け込みでもない、それを言い表す言葉はない。
それと同じように無垢で純粋でいなさい。
そうするとあなたは、それによって選ばれる。
あなた自身の努力では決してできることではない。
あなたはとても美しいので花婿によって花嫁として選ばれた、と想像してごらん。
これがどのようにして事が終わるかだ。
SRI H.W.L.POONJA
プンジャジ(パパジ)
THE TRUTH IS
より抜粋
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