瞑想(真我探究)の効用と危険性、そしてヒーリングの必要性について | 怒りや恐怖を癒して、本当の自分に目覚め、自由で楽しく豊かな現実を創造する ヒーリングサロン ディヴァイン・ロータス 長崎県 大村市

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ここでは、
ヒーリングと瞑想を提供することで、
本来の自己に目覚め、
本当に望む現実を創造して、
自由で楽しく豊か生きる事を
サポートしています。

瞑想とは、本当の自分に目覚めるためのものです。
 

最近では瞑想がブームですが、そのほとんどは、

呼吸など、いろんなことに気づこうとするものです。

しかし、何かに気づこうとしても、
すぐに思考との同一化に戻ってしまい

氣づきを失います。

ですから、何かに氣づこうと努力するよりも、
対象に氣づいてる意識に氣づくことが
シンプルで簡単です。





例えば、あなたは今、この文字を読んでいますね。

あなたはこの文字には気づいていますが、
この文字に気づいている本当の自分に

氣づいているでしょうか?

私たちは、意識が全部外側(対象)に行ってしまい、
それを見ている本当の自分を忘れています。





では、この文字を見ているのは、誰でしょうか?
この文字を見ているものは、どこに居ますか?


この文字が映っている

携帯やスマートフォンや

パソコンの中でしょうか?


違いますね。


では、あなたの目が観ているのでしょうか?


違いますね。
目は、感覚器官であって、

観ることはできません。
目を通して観ているものがいるから
観ることができるのです。





だから、

対象であるこの文字に向かっていた意識を、
今度は逆向きに辿るのです。


目に戻り、

さらに網膜の後ろへと

戻るのです。



そこにこの文字を観ている者が在ります。



その観ているものに氣づいているとき、
対象に氣づくことは簡単になります。

なぜなら、氣づき、それが意識だからです。
文字に氣づいていることに氣づいているなら、
それは、すべてに同時に氣づいています。



それは、

見えているものにも氣づいているし、
聴こえている音にも気づいています。
思考に同一化している時には

聞こえなかったような小さな音にも、

氣づいています。




IMG_20170926_113801103.png

 

同時に、中心の空にも氣づいています。
本質にも氣づいています。
強み・長所・才能にも気づいています。
内側に湧き起る感情やフィーリングにも気づいています。



自分自身の内側にある体の内的感覚、
皮膚の感覚
思考
外側のスペース
周りの人や動物や木々や自然にも
氣づいています。



このような対象に同時に氣づいています。



その時、対象に氣づく度に、
対象に氣づいているものに氣づくなら、
すべての対象がその氣づいていることに
氣づく切っ掛けとなります。



そして、この
対象に氣づいていることに氣づいているもの
に戻るのが、瞑想の目的です。




これをもっとも簡単に表しているのが、
ラマナ・マハルシの「あるがままに」
書かれてある真我探究の方法です。


観ているとき、
『目を通して観ているのは誰か?』
と意識を内側に遡っていく。



聴いているとき、
『耳を通して聴いているのは誰か?』
と意識を内側に遡っていく。



対象に気づく度に、
『対象に気づいているのは誰か?』
と意識を内側に遡っていく。





これは、素晴らしい瞑想です。
しかし、同時に難しく、
同時に危険でもあります。


ラマナ・マハルシの「あるがままに」には、
その危険性が書かれていませんでした。
なので、私は、体が壊れ死にかけるほど

苦しんでしまいました。


だから、その素晴らしさを体験しながらも、
どこかでこれを否定してしまっていました。


マハルシは、ただ座っていただけだから、
本来の自己をトータルに生きることなく終わってしまった

だから、また生まれて来たに違いない。
とか、


マハルシは、ガンで苦しんで死んだから、
そこには未完了のカルマ(傷や感情や思い込みやプログラム)が隠されており、
本来の自己を生きることができず、アシュラムの外に出れなかったのだ。
とか。



そして、この

対象に氣づいていることに氣づいているもの

も軽視していたようです。





昨日温泉に行って、友人から
「対象に氣づいていることに氣づいていること」
という言葉を聴いたとき、
「なんや、それ何年も前に俺が言っていたことじゃないか。」
と思って聴いていました。



そして、聴いている内に、 この

氣づいていることに氣づいていることと、
自分自身の内側にあるカルマを癒すことが
統合されておらず分断されていたことに

氣づきました。



一時、
「サトルボディヒーリングなんかもうやめた!!」
という時には、
対象に氣づいていることに氣づいているものに

強力に引き戻されたのですが、


その後、カルマが活性化するとその氣づきは失われ、
外側の対象に向かい思考に同一化するよな、
とヒーリングに戻ったのでした。



そして、今、その両方が統合されつつあります。

そう、瞑想とヒーリングの統合、

今回そのために来たのだ、
と感じながらも、

そこに微妙な分断があったのでした。



ちなみに、なぜ、真我探究が危険かというと、
思考と真我の間には、感情の壁があるからです。
そこには、今生だけでなくすべての転生で

蓄積された沢山の感情があります。


それは余りにも沢山あるので、

何層にも重なった壁のようになっています。

ですから、大抵の場合は、
この壁に阻まれ内側へと入ることができません。

しかし、懸命に努力するなら、
壁を飛び越えて一気に中心に向かうことができます。





しかし、それはとても危険なのです。
なぜなら、それはこの図が示すように、




 


中心に灯りが灯るようなものだからです。


表層には、
怒り・恐怖・不安・恐れ・悲しみ・無力感・無価値感・・・
といった沢山の感情があります。

そのたくさんの感情が、現実に投影されます。





怒りを沢山蓄積していれば、
観るものすべてに怒りを感じさせられるように見えます。


また、同時に自分の中にある怒りは、
怒りを感じさせる人や状況を引き寄せます。

そして、自分自身の内側にある怒りと、
目の前に現れた人や状況について感じる怒りの
両方を感じます。


実際には、内側にある怒りの方が

10倍も大きかったりします。
なので、ものすごく大変になってしまいます。





すると、中心にくつろいでいる時には、
静けさ・平安・安らぎがありますが、

何かの人や状況がやって来たなら、
瞬く間に感情が活性化され、
思考に同一化してしまいます。


結果、相手や状況を何とかすることで
この苦しみから逃れようとします。

しかし、感情から動くとき、
更なる苦しみを作り出してしまいます。

結果、悪循環にはまります。





その時、人は、感情の壁を境に内側と外側に分断されます。

結果、内側の静けさ、安らぎ、平安と、
外側の大変な現実と、
どちらが現実なのか分からなくなり、
まるで現実の裏側に潜り込んでしまったかのように感じ、
どうしようもなくなってしまいます。





ですから、真我探究はとても良いのですが、
同時にカルマを癒してあげることも大切です。



そういう意味では、一気に中心を目指すよりも、
表層の体から始めて、
段々と意識を内側に広げていきながら、
傷や感情や思い込みやプログラムを癒してあげ、

さらに深みにある本質に気づき、
強み・長所・才能に気づいてあげる。
という風に進んで行って方が、
安全で結果的には早く確実なように感じます。


カルマ(傷や感情や思い込みやプログラム)を癒し、

本来の自己を発見する、
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