病気になったり、
体が壊れたり、
鬱になって仕事に行けなくなったり、
不安障害やパニック障害で買い物に行けなくなったり、
そういった状況は、
本当の自分を抑え込んで、
偽りの自己で生き続けてきた人生が破綻した結果です。
それは、悪いことではなく、
本当の自分へと戻っていくためのチャンスです。
しかし、偽りの自己は、そのことに氣づくことができません。
もちろん、原因にも氣づくことができません。
もう少し深く観るなら、
偽りの自己は、無意識に原因を見ないようにします。
なぜなら、本当の原因に氣づくことは、偽りの自己が主人の立場を失う事に繋がるからです。
それは、偽りの自己にとっては、死のように感じます。
ですから、偽りの自己は、あの手この手でそれを阻止し、苦しみが続くようにします。
もし、原因に氣づいたとしても、いろんな手を使って、いろんな理由を見つけて、原因から離れようとします。
そして、苦しみ続けるようにします。
ですから、偽りの自己は、
本当の原因に近づかないように避け続け、
その周りをグルグル回り続けます。
(考え続け堂々巡りをし続けます。)
そして、立ち上った土煙でさらに自分を煙に巻きます。
つまり、本当の原因に氣づかないように、偽りの原因を見つけて、それに夢中になるように仕向けます。
或いは、原因を見ないまま、
原因をそのまま残して、
結果である症状を薬で抑え込み、
大多数の人たちと同じ普通と言われる偽りの自己の状態へと戻ろうとします。
そして、本来の自己へと目覚めていくチャンスを失ってしまいます。
それは無理もない話です。
本来の自己を覆い隠しているたくさんの感情を感じることが簡単なら、
それを感じることをしてきたはずですから。
そうしていたら、本当の自分を抑え込む必要もなかったのですから。
実際には、
体が壊れたり、
病気だったり、
仕事に行けなかったり、
買い物に行けなかったり、
という状態なのに、
その原因を感じることを避け、
薬で症状を抑え込み、
普通に生きるのも一見楽に見えます。
たくさんの人が同じ道を歩いているという偽りの安心感もあります。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
ギックリ腰で整形外科に行くと
レントゲンを撮り、異常が無いと湿布をくれます。
その湿布を貼ると、痛みが無くなります。
その状態で、普通に動くとどうなるでしょうか?
体は痛みで、これまでの生き方が間違っていたというメッセージを送っています。
そのメッセージを薬で遮断して、感じないようにして無視して動くなら、体は更にダメージを受けます。
さらに、実際には痛みを感じているのに感じないようにする薬は、体に何かの影響を与えないのでしょうか?
鎮痛剤くらいなら平気かもしれませんが、
最近では、頭痛薬でも常用すると・・・
というような話もあります。
もっと酷い症状を抑え込む強い薬なら、体にどんな影響を与えるのでしょうか?
そして、そういった薬を止めるのは簡単なのでしょうか?
こういったことも、ちょっと検索すると、いろんな情報を得ることができます。
そういったことまで含めるなら、
感情を感じて本当の自分に戻っていくのと、
薬で症状を抑え込み、普通の状態と言われる偽りの自己に逆戻りするのと、
どちらがよい選択なのでしょうか?
そもそも、いったい何のために、体を通して生まれてきたのでしょうか?
本当の自分を抑え込んで、偽りの自己として苦しみながら生きるためでしょうか?
本当の自分を思いだし、満たされて幸せで人生を楽しむためでしょうか?
いづれにしても、
私たちは、自分で自分の現実を作っています。
体ですらそうです。
そして、その結果を受けとるのも自分です。
つまり、自分で選択した結果を、自分で受けとっているのです。
同じ選択を続けるなら、受けとる結果も同じままです。
苦しみの原因である感情を感じて癒してあげることは、そんなに難しくありません。
右も左もわからないまま自分一人で感じて癒そうとすると、苦しくて諦めてしまいます。
しかし、既に自分自身を癒してきた人に手伝ってもらうなら、何十倍も簡単に早く癒せます。
また、自分でもそれができるようになりたいなら、どうしたらいいのかを教わることもできます。
そうなると、更に加速します。
それは、車の運転を習いに教習所へ通うようなものです。
一つ一つ習うことで、誰もが簡単に運転できるようになります。
所内だけでなく、一般道も走れるようになり、高速道路も走れるようになります。
しかし、途中で通うのを止めたり、本を見たり、人の運転を見よう見まねでやろうとすると、いろんなことで引っ掛かって遅々として進まず諦めてしまいます。
苦しみの原因に氣づき、受け入れ、変容する(癒す)ことは、私たちが本当の自分へと目覚めていくプロセスです。
そして、その先に、本当の自分を体を通して表現し分かち合い、人生を楽しむということが待っています。
私たちは、そのためにこの星に体を通して生まれてきたのです。