氣づき、それは自然なものです。
対象に氣づいている意識に氣づいていることは、本来の自己へと目覚めるためのものです。
それは、単に本来の自己へと戻るためのものですから、努力して何かになるのとは違います。
ですから、氣づこうとすることで本来の自己から離れてしまいます。
氣づこうとするのではなく、既にすべてに氣づいているものに氣づくのです。
それは、ただ思い出す、ただそのままの本当の自分に戻る、そんな感じなのです。
それは頑張って何かになる修行ではないのです。
修行している限り、自ら限界を作りだり、いつまでも修行し続けてしまうのです。