怒りをコントロールする、
この勘違いが世界をこんなにも混乱に陥らせている。
怒りをコントロールしようとするのは、思考だ。
しかし、思考とは、この図が示すように、意識の一番外側にある無数の点の集まりに過ぎない。
思考とは、無数の小さな点の集まりで、
ひとつの点から、別の点へと、次から次へと飛び回り続けている。
その無数の小さな点に比べたら、怒りは遥かに大きく強いエネルギーだ。
その小さな点が怒りをコントロールするなんてできる訳がない。
そして、忘れてはいけないこと、
それは、思考との同一化が苦しみの原因だということ。
思考とは、全く浅はかなものだ。
それは、意識の一番外側にあるゆえに、表面的なものだ。
ゆえに、物事の表面的な結果しか見ることができず、 原因まで深く見ることができない。
そして、いつも結果だけを見て、結果を変えようとする。
しかし、すべての物事には、原因がある。
その原因が同じなら、起こる結果も同じだ。
にも拘らず、結果だけを見て結果を変えようとするのは、狂気の沙汰意外の何者でもない。
思考が、怒りをコントロールしようとすることで、怒りを溜め込みさらに強大にしてしまう。
そして、結果的に怒りに突き動かされてまっている。
それは、河にダムを作って流れを塞き止めようとするようなこと。
しかし、溜まりに溜まった怒りは、ダムを破壊して怒りをぶちまけてしまう。
思考には、怒りをどうすることもできない。
怒りを変容することができるのは、ハートだ。
怒りをハートで受け入れることで、それは変容される。
その変容は、ハートにある愛のパワーだ。