本当の自分と偽りの自分だとか、真我とエゴだとか、自分自身を分けないことは、大切です。
でなければ、
覚醒すると、偽りの自己(エゴ・マインド)は、あらゆる手を尽くして、お馴染みの幻想を総動員して、その身体の、また行動のかじ取り役を取り戻そうとします。
などと、在らぬ争いを作り出し、在らぬ葛藤に苦しみます。
それは、何千年と続く光と闇の闘いのように、無意味なものです。
もっと分かりやすくいうなら、
ドラゴンボールの神様とビッコロ大魔王の闘いのようなものです。
年代が違うと分からないかな?
偽りの自己(エゴ・マインド)が、問題なのではないのです。
中心の空と思考との間に、感情という壁があることが問題の原因なのです。
その壁により、内側が隠されているのが問題なのです。
その壁により、意識が隠されており、眠り込んでいるから、
それでも生きていかなくてはならないから、思考が代役を果たしているだけなのです。
当然ながら、意識の道具である思考が、人生を何とかうまく行かせようとしても無理なのです。
それは、パソコンに向かって、「俺は寝ているから、あとは俺の人生をうまくやっておいてくれ。」と言っているようなものです。
思考とは、ただの記憶計算装置なのですから、当然ながらうまく行きません。
そのすべては、過去に基づいています。
今、ここ、これからは、分からないのです。
だから、過去を繰り返し生きているのです。
覚醒とは、あの上の図の中心の空に目覚めることです。
つまり、対象に気づいていることに気づいていることです。
しかし、覚醒しても、感情の壁が溶けて無くなる訳ではありません。
なので、覚醒しても、誰かの一言や行動や、何かの出来事で、感情が活性化されると、
感情のエネルギーに引っ張られ、対象へと向かってしまいます。
そして、感情の外に出てしまい、思考との同一化に戻ってしまうのです。
そして、思考とは、感情と信じ込みとプログラムに突き動かされるままに動いてしまいます。
人々は、この思考と感情と信じ込みとプログラムによって引き起こされる行動をエゴと言って問題視します。
しかし、エゴが問題ではないのです。
感情と、信じ込みと、プログラムが原因なのです。
それらが癒されたら、意識は本来のひとつであるものに戻り、思考は意識の道具である本来の役割に戻るのです。
覚醒すると、偽りの自己(エゴ・マインド)は、あらゆる手を尽くして、お馴染みの幻想を総動員して、その身体の、また行動のかじ取り役を取り戻そうとします。
というのは、自ら無意識になり、思考との同一化に戻っているにも関わらず、
その原因を見極めず、
エゴのせいだと責任を放棄しているのです。
ですから、その原因がなくなるまで、その闘いは、無限に続くのです。