人は、苦しみから逃れたくて、悟りだとか覚醒を求めるのではないでしょうか?
しかし、苦しみから逃れようとすることは、悟りだとか覚醒とは逆へと向かうことです。
なぜなら、私たちは、恐怖・不安・恐れ・怒り・悲しみ・無力感など、心地よくない感情を感じることを避け抑え込んだ結果、
意識の一番外側にある思考に同一化して生きています。
感情を抑え込み思考に同一化していると、私たちは世界や人々を恐怖・不安・恐れ・怒りなどの感情を通して見てしまいます。
そして、同じような感情を感じさせられる人や状況を引き寄せてしまいます。
更に、感情から反応し、更に事態を悪化させてしまいます。
思考との同一化、これが苦しみの原因です。
この思考と同一化した状態から逃れたくて悟りだとか覚醒を求めると、意識は外側に向かってしまいます。
ですから、例えば何十年も何十冊もOSHOの本を読んだとしても、大して役に立たないのです。
本を読むこと、それは通常エネルギーが外側に向かってしまいます。
思考との同一化を強めてしまいます。
そして、思考にたくさんの知識を積み上げてしまいます。
必要なことは、体験することです。
そして、意識を内側に向け、直接観て触れて感じることです。
しかし、知識を積み上げることは、外側のことも内側のことも、直接観て触れて感じることの妨げとなってしまいます。
感情だけでなく、知識を通して見てしまいます。
本で読んだだけで実際に体験していないことは、知らないことと同じなのです。
知らないのに知っていると思い込みことで、実際に体験する機会を失ってしまいます。
その事に気づいたとき、人は内側へと向かい始めます。
瞑想に興味を持ちます。
しかし、思考から内側へと入ると、そこにあるのは感情の層です。
そこには、今生だけでなくこれまでのすべての過去生で抑圧し蓄積してしまったたくさんの傷や感情があります。
恐怖・不安・恐れ・怒り・悲しみ・無力感など
それらが浮かび上がってきます。
すると、同じような感情を感じさせられる人や状況を引き寄せてしまいます。
ですから、意識を内側に向けるだけでなく、そのような感情をどのように扱えばよいかを知る必要があります。
感情は、気づきだけでは変容しないからです。
もちろん感情があることに気づくことは助けになります。
感情が反応していることに気づくことで、感情から反応するか、意識から応答するかを選択することができるようになります。
しかし、意識は、疲れたり眠くなったりすると弱まり、
また 、強い感情が活性化されると瞬く間に感情に引っ張られてしまい、思考との同一化に戻ってしまいます。
しかし、反応する傷や感情が癒されたなら、スペースが拡がり、意識が輝き出します。
意識を内側に向け、感情の層を通り越し、直接意識に向かうこともできます。
代表的なものに、ラマナ・マハルシが提唱してくれた意識を内側に向け「私は誰か?」と問う方法があります。
また、禅もそうです。
それらは、いきなり中心の空を目指します。
それは、素晴らしいものです。
しかし、それで苦しみから解放される訳ではありません。
何故なら、中心の空に目覚めても、苦しみの原因である傷や感情や思い込みやプログラムが無くなる訳ではないからです。
中心の空に明かりが点ることで、余計に苦しみを活性化させてしまう危険を伴います。
ラマナ・マハルシは、癌で苦しみました。
それは、蓄積されたカルマ(傷や感情や思い込みやプログラム)が活性化されたことを現しています。
また、カルマによって本質が隠され、生きられなかったことも現しています。
苦しみから解放されたければ、その原因を知る必要があります。
苦しみの原因である傷や感情が、自分自身の中にあることに気づき、それに直面し、それがそこにあることを許し、ハートをもたらすことが必要です。
すると、溶けて消えていきます。
そのためには、気づきを養うだけでなく、ハートを目覚めさせ育む必要があります。
そして、苦しみの原因にハートをもたらすことで、意識はだんだんと内側に拡がり、本来の自己へと近づいていきます。
結果として、だんだんと苦しみから自由になっていくのです。