思考を観察するのはいいことですが、
「私は思考ではない」
という体験をした後でないと難しいでしょう。
何故なら、私たちは長い間、思考に同一化して生きてきたから、気がつくとすぐに思考に同一化してしまっているから。
思考は、意識の一番外側にある薄い層に過ぎません。
思考は、無数の点の集まり、群衆です。
無数の点を、ある点から別の点へ、それからまた他の点へと、留まることを知らずに飛びまわっています。
思考に気づいているつもりで、いつの間にか「思考について考えている思考」に同一化してしまったりします。
先ずは、エネルギーを頭から体に戻すことが、役に立ちます。
そのためには、OSHOが残してくれた数々のアクティブな瞑想が役に立ちます。
いずれも1時間で終わるようにデザインされています。
たとえば、OSHOクンダリーニ瞑想では、
まず、全身をくつろがせて立ちます。
音楽が流れると、全身で音楽を感じながら、体が振動するに任せます。
次の15分では、音楽を全身で感じながら、体が踊りたいように踊らせます。
次の15分では、立ったままか座るかして、全身で音楽を感じます。
最後の15分は、音楽が止まるので、横になってくつろぎます。
最後に鐘が鳴ったら終わりです。
終わった後は、自然と思考が止まっています。
そして、自然に、「私は思考ではない」ということを体験します。
思考を観察するために大切なことは、
対象にだけ向いていた意識の向きを180度転換し、思考に気づいているものに意識を向けることです。
そうなのです、対象にだけ意識を向けていたために、本来の自己を忘れてしまっていたのですから。