スコット人をピクト人に抵抗できるくらいに強くしたのは、おそらくコロンバの名声(彼は名家の出身)とその人格であろう。また、彼の政治力が、スコット人をガブラン家のエイドゥン(訳注1)のもとに統一せしめた。エイドゥンは強い王になった。彼は自分の思い通りになる艦隊をもっていた。しかし、603年、ブリトン人に向かって来たアングル人の進攻に対抗しようとして南下して、デグザスタン(今日のリデスデイルのドーストンか?)の戦いで破られた。その後、スコット人の力は衰えた。643年、スコット人の王の一人、ドナルド・ブレアック(訳注2)がラーバート(Larbert)付近のストラスキャロン(Strathcarron)でブリトン人に殺された。スコット人はなおも南部で戦おうと試みた。もしかしたらキャンプシー丘陵を占領したかも知れないが、スコット人はアンガス・マクファーガス(訳注3)に屈服させられた。その後、一世紀近くピクト人の従属国家のようなものになったかも知れない。しかし、彼らの教会の名声と学識に支えられて、彼らはこれまで思われてきたほどは面目を失わなかったかも知れない。とにかく、843年頃、スコット人の王ケネス・マクアルピン(訳注4)が、彼の母方の家系を通じてその継承権をもっていたかも知れないピクト人の王座を手に入れた。彼のすぐあとの後継者たちは、Reges Pictorum(ピクトの王)あるいは、Reges Albaniae(アルバの王)と称された。しかし、彼らはスコット人の王としてアイオナに埋葬された。そして、連合王国は「スコティア」と呼ばれるようになった。(訳注5)
(訳注)
1.Aedan mac Gbrain (c.574ーc.609)ダル・リアタ王国国王。
2.Domnall Brecc (d.642)
ダル・リアタ国王(在位:629-642)
3.Angus MacFergus (c.690-761) ピクト人の王。彼のもとでピクト人の王国は最盛期を迎える。
4.Kenneth MacAlpin (d.858) ダル・リアタ王(c.840/1-858)。ピクト王(842/3-858)。
5.スコットランドの始まり。