7/❸/⑵/1章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 ❸ブリトン人

 

 ローランドに住んでいたブリトン人は、属州ブリタニアがローマ帝国との接点を失ったあともなお存続ひたローマ・ケルト世界の一部を成していた。ブリトン人の諸部族の中にはフォドラティー(訳注1)としてローマに認められていたものもあった。これらの部族の族長の家系には、ローマ風の名前をもつものもいた。また、人々の中には堂々とキリスト教徒であるものもいた。社会の組織は貴族主義的であった。丘の上に築かれた町がいくつかあって、そこはおそらく部族長によって占拠されていた。典型的な農場は、大きな円形の農家があり、それがほかの関連の建物とともに、おそらく柵によって囲まれていたであろう。

 
 
(訳注)
 
1.foederati.  ローマの植民地ではないが、かといって市民権が認められているわけでもなく、いざとなった時はローマに兵を派遣するようにローマと条約を交わしている部族のこと。