3/❶/⑵/1章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 ピクト人がもしも本当に2つの国に分裂していたならば、勝ったのは南のほうであった。ビリーの息子ブルード(ピクト人の王:672-93)(訳注1)がすべてのピクト人を支配下に置き、ダナッドでスコット人(訳注2)を攻撃した。そして、685年にノーザンブリア王エグフリスをネフタンスミア(アンガスのドゥニヘン)で打ち破った。ビードの時代までには、ピクト人はすでにリンリスゴー付近のアバコーンを占領していた。その後間もなくすると、強力なアンガス・マクファーガス(ピクト人の王:732-761)がスコット人に対して支配権を確立した。(訳注3)スコットランドを構成するのに合わさった4つの民族のうち、ピクト人がもっとも強力であった。


(訳注)

1.ブルード(Brude):ブリデイ・マクビリー(by 628-692)のこと。ピクト人の王。(ref:Wiki, Eng, 'Bridei son of Beli')

2.スコット人:6世紀にアイルランドからスコットランドに移住したゲール人の一派。スコットランドの地名はこの種族名から来ている。

3.この頃、ピクト人の王国が最盛期を迎える。