12/⑴/8章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 リッチョのことについてはほとんど何も知られていない。ただ、彼がイタリアのピエモンテ出身であり、1561年にミュージシャンとしてスコットランドに到来し、メアリーに気に入られて、やがて、彼女がフランスの王太后として維持している小さな宮廷の秘書になったということのみである。しかし、1566年までには、彼はダーンリーの地位を奪いつつあったようである。すなわち、メアリーの相談者としてだけではなく、いつも一緒にいる仲間として。嫉妬深いダーンリーは、モートン、メスヴェン、その他の者たちと組んで謀議を巡らし、あの「追撃戦」(訳注1)でイングランドに追いやられた貴族のリーダーたち(モリー伯も含まれる)をスコットランドに連れ戻すことを計画した。レッシングトンがこれに同意し、イングランド政府もこのことについて知っていた。1566年3月9日、ホリルード宮殿のメアリーの部屋の扉のところで、リッチョは、ダーンリーの私的に使える階段からのぼってきた暗殺者たちによって殺害された。翌日、モリーとその仲間たちがエディンバラに入り、メアリーによって迎えられた。(訳注2)

 

 

(訳注)

 

1.追撃戦(the Chase About Raid):本ブログ11/⑴/8章/『スコ史』参照

 

2.ref: Cunningham, i, 328.