21・3章:イングランド史 | 藤原の田中のブログ

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(4月15日、親衛隊長職を罷免される)

 2、3日後にセシルは、自分自身で国王に会いにロンドンより下行した。彼がジェイムスのところに着いてから間もなく、ローリーは自分が親衛隊長職を辞さなければならなくなったことを知った。ジェイムスがセシルとハワードに導かれてこの方策をとったことはほぼ間違いがない。また別の観点からは、ジェイムスが自分の出身のスコットランド人から、この自分の身の回りの安全に関する重要職につく者を決めたいと思ったことは至極当然のことであった。ローリーはバーリーで国王に謁見することを許可された。そこでおそらく、ライバルたちに対する責めの言葉を思い切りいったにちがいない。しかし、ジェイムスはローリーの嘆願にはほとんど注意を払わなかった。間もなくローリーは、親衛隊長職がサー・トーマス・アースキンに与えられることになったという正式な通知を受けた。アースキンはすでにスコットランドで同様の職についていた。ローリーは職を失う埋め合わせとして、彼のジャージー島の統治に課せられる年300ポンドの支払いの免除、および、ローリーが王室に負っている債務の多額の未払金の免除を与えられた。