HE 10・12:宗教的難題 | 藤原の田中のブログ

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(宗教的難題)

つまづきの岩は議会によって提案された教会立法であった。宗教問題が眠っていることを許されるのは事物の本質の中でではなかった。圧倒的多数のイングランド人にとっては、信仰は唯一の知的食物であった。ちょうど宗教関係の本が彼らの唯一の読み物であったように。法律や統治構造に関する議論にはほとんど関心をもたず、長老主義や主教主義、あるいは、さまざまな礼拝方式の比較に全霊を捧げることができる者が大勢いた。当時の知的階級の大部分はまさにこれらの主題に没頭していた。ロードやウィリアムズ、ミルトンやチリングワースは文学的散文では他の追随を許さなかった。この教会文学の独自性は、それは本質的に論争的であるという点だった。ローマに対してその防衛が成功すると、その内的なプロテスタンティズムの力はさまざまなヴァリエーションの中に姿を現した。自由探究(それはほとんどすべてのイングランド人によって理論的には拒絶されたが)はどんどん進んでいったので、イングランド人の中で誰も擁護する気にならない教会礼拝や教会統治の形式はほとんど1つもなくなった。もっとも恵まれた状況下にあっても、教会制度を時代の新しい要請に応えるように形成していくことは、細心の注意を必要としたことだろう。狂信者にも政治家にも何世紀にもわたって一様に信じられてきた通念は、宗教的自由はアナーキーの別名にすぎず、いかなる者も自分の目で見て正しいと思った通りに説法したり礼拝したりしないようにすることは国家の義務であるということだった。その困難さはいかなる状況下にあっても多大なものであっただろうが、最近の出来事によっておそろしく多大なものになっていた。ロードのピューリタニズムを押さえつけようという愚かな試みは、ロード自身にとってしっぺ返しとなって返ってきた。そして、ロードを通して国民へと。より極端なピューリタンは怒り狂い、主教や祈禱書に対する攻撃を聖なる仕事とみなした。彼らは、ついに神らしくない、反キリスト的な偶像の破壊のための力が自分たちに与えられたと考えた。ほかの時代だったらその中庸性から多くの力が期待できた者たちは、当時はほとんど全然中庸にならなかった。彼らは、自分たちが嫌っており、つい最近、最高の厳しさで自分たちに課された教会慣習と自分たちが直面していることに気がついた。彼らは、自分たちが理解できない宗教的感情を考慮し、ロードの全盛時代に自分たちの首に軛として課されてきた宗教的慣習に自由を与えることができただろうか。社会的敵意がすでに、宗教紛争を悪化させる準備ができていた。イングランドの貴族とジェントリーの大部分はヨーマンや手工業従事者たちの権力の軛から逃れたいという要求をさげすんだ目で、また、嫌悪感をもった目で眺める傾向があった。一方で、ヨーマンや手工業従事者たちは、神学上の理由で、上層階級に対する独立を喜んで擁護した。そこでは、彼らは自分たちのことを主人であると想像した。