HE 10・10:下院議会における全会一致の終焉 | 藤原の田中のブログ

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(下院議会における全会一致の終焉)

休会が議決された日は、イングランドの歴史においてまさに記念すべき日だった。それは、下院議会を分裂させていた2つの党派が互いに忠実に協力し合った最後の瞬間だった。これまで長期議会によってなされたことは、どんなことでも時の試練に耐えた。これまでテューダー王朝とスチュアート王朝の最初の2人の君主のもとで君主の大権を守ってきた特別法廷の廃止は、議会の賛成なくして課税できるという主張を国王が放棄したことと並んで、1660年において復活させられた君主的統治機構の出発点として受け入れ可能である。国王と議会は、これ以降は互いに争い合うのではなく互いに協力し合いながら前へ進むのだというのは、ピムやハムデンばかりでなく、ハイドやフォークランドのドクトリン(教条)でもあった。「必要なときには(それを判断できるのは国王のみ)、国王は議会に対抗できる」というストラフォードの理論を支持する者は1人もいなかった。

(闘争の始まり)

それでも、この見かけ上の全会一致の瞬間から激しい闘争の歴史が始まる。このあとに続く舌戦は、剣による戦争をわずか2、3ヶ月間先んじていただけに過ぎなかった。勝ったほうは、怒れるこじんまりとした野党に直面しながら、せっせと、自分たちの見解を、長続きする制度の中に具現化しようとして努力した。しかし、それはすべて無駄だった。イングランド人民を縛るために砂でなわれた縄は、全般的な抵抗の前で無に帰していった。