HE 10・1:議会の代表が国王につくことに | 藤原の田中のブログ

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(議会の代表が国王につくことに)

議会はスコットランド人を上機嫌のままにしておきたかった。また、国王を常に見張ってもおきたかった。そのため、議会の代表がスコットランドまでついていくことになった。名目上は条約がちゃんと実行されるかを確かめに行くためであったが、実際には、国王が権謀術数を働かせないかを見張りに行くためであった。

(全般的赦免、脇に置かれる)

議会はあまりにも疑り深かったために、国王が全般的赦免を提案していることに全然気がつかなかった。議会は、フィンチやパーシー、ジャーミンを、彼らがイングランドに戻ってきたときに受けるべきふさわしい罰から守っていると解釈されるのではないかと恐れた。むしろ議会は、サックリング、パーシー、ジャーミンは反逆罪に相当すると宣言することによって、北部の士官たちが、いかなる新たな暴動計画においても国王に合流することを妨げることに決した。議会は再び、教会と王国の状況について諫奏する準備を指示した。議会は反国王で人民に訴えようとした。しかし、今のところそれに関しては何もなされなかった。

(8月13日)

8月13日、キャプテン・チャドリー(第1次軍隊による陰謀事件でサックリングと兵士との間の仲介役として働いた)が詳細に審問され、その結果、彼は「1000頭の馬が、その計画を支持する聖職者らによって維持される予定であると聞いた」と証言した。そのような計画が3月の時点で話し合われていたということは、8月にそれを初めて聞いた者たちの驚きを増すのに十分であった。

(8月14日、防衛委員会)

8月14日、貴族院の関心をロンドン塔およびその他の要塞に向け、精強民兵隊と国の弾薬を管理するためにいかなる権力が置かれるのにふさわしいか、いかなる人物のもとに置かれるのがふさわしいかを審議するために、委員会(防衛委員会と呼ばれた)が設置された。将来の民兵隊法案がこれらの言葉の中にすでに影を落としていた。フォークランドとカルペパーが、ピムやヤンガー・ヴェインの側としてその委員会に名を連ねていた。