世界はそれを愛と呼ぶんだぜ! | ハリーの養生訓

ハリーの養生訓

僕が見つけた養生

肉食か非肉食か、議論があります。

食事療法もそうですが、とことんカオスです。

菜食で健康になる人もいる。

肉食で心穏やかな人もいる。

結局、人間は「適応する」ということと、「情報を食べている」ということに尽きると思います。

体に良いと信じて食べれば健康になるということです。

とすれば、逆が怖いです。

この食べ物は邪食、毒だと信じていれば、それが毒でなかったとしても体は反応し具合が悪くなるでしょう。

自分の心の中の「正しさ」「信念の強さ」が牙をむくわけです。

「菜食こそ正義」となれば、肉を喰らう人を見た途端、反射的に嫌悪感、不信感がわきだしてくる。

悪意より質が悪いのは、老婆心という名のしたり顔の善意かもしれない。

他人の歴史に口出しする傲慢さが頭をもたげてくる。

人間の感受性、内臓機能、消化、吸収、代謝、排泄能力、どれをとっても、みなそれぞれ違います。

仏教用語を借りれば「機根」も違う。

ある食材に対する受け入れ方が違うとなれば、10人いれば10通りの食事療法があってしかるべきです。

肉食も良し、菜食も良し。

どちらでも良し。

俯瞰した幅広い視野をもち、一方に片寄らない、居着かない、バランス感覚、ニュートラル化を養っていくことが、万物の霊長たる人間の、心身の健康の要ではないでしょうか。