ある程度生きてくれば、人とのご縁の不思議を感じることが多々あることだろう。
人生、出会うべき人には必ず出会う。しかも一瞬早からず、遅からず。
かんながら。
人生の醍醐味と言える。
ところが、日々供される食事となると、趣が異なってくる。
不平不満を言い、これは良い、これは悪いと選り好みをする。
一期一会の尊さはどこへやら、我欲丸出しになってくる。
独りよがりの卑しい人間に、縁の方から遠ざかっていくだろう。
沖先生はこのように述べている。
「食事をする心は、自己の内なる生命のために、自己の外なる生命、すなわち、他の生命に犠牲になっていただくことであるから、心底から、感謝と懺悔の心で接して、報恩奉仕の心の誓いをする心でなくてはならない。食物に対して、感謝心と懺悔心と、その恩に報いる奉仕心を一つにした、祈りの心で対するという尊い心構えで接したときには、食物の方から心の食、すなわち聖食を啓示していただけるのである。」
人との縁をいかに引き寄せるのかを考えればわかりやすい。
自ら研鑽し人間性を向上させていこうとする志に共鳴して、見合った最善の縁が最高のタイミングで繋がっていくのであって、逆に準備ができていない者に、いくら上等な人との縁をお膳立てしても、その価値に気づくこともないだろう。
縁を活かすも殺すも己の心がけ次第。
食物との出会いもまた、人との出会いとまったく同じではないか。
貪る心が、どうして良心的な食物を引き寄せるだろうか。
今この瞬間、眼前の物事を、「全肯定全活用」していく心意気に、縁が繋がり、愛が満ちてくるのだろう。