冷えの意味 | ハリーの養生訓

ハリーの養生訓

僕が見つけた養生

冷えを自覚する人がいます。冷えは万病の元ということも認知されるようになりました。

冷えに対する対処法として、「温める」ということがあります。

「熱を補う」という意味で、急場をしのぐ応急処置としては効果があるでしょう。

しかし、これは消極的な方法であり、必ずしも根本的な解決に結びつかないことを理解しておく必要があるように思います。

そもそもなぜ冷えるのでしょうか。

冷やすから。

もっとものようですが、僕は少し疑っています。

我々がこうして生きていられるのは、常に環境に順応しようとバランスをとっているからではないでしょうか。

冷えれば熱を生み出し、暑ければ毛穴を開いて汗を出し冷まそうとする。

言い方を変えれば、いたずらに温めることで、その過保護に甘え自前で熱を生み出せない脆弱な身体になってしまうということです。

それでは冷えの根治のためにはどうすればいいのでしょうか。

「構造」に着目します。

肉体的な構造としては、呼吸が深く入らない姿勢。

つまり肺を包む胸郭に弾力のないことが問題視されます。

呼吸が浅くなれば、代謝は落ち、体内のあらゆる機能が低下します。

こうした姿勢を形作る要因として、いかにも現代的な不自然で限定的な身体の使い方があります。

長時間のデスクワークに加え、運動不足が慢性化すれば、ダイナミックに躍動する身体は培われません。

見た目にも、自信なさげな無気力な姿勢です。

これは精神的な構造をも示唆するものです。

体温の高揚を感じる時というのは、意欲的、情熱的に物事に取り組んでいる時であって、その時には外見にも自己肯定感が滲み出してくるものです。

恋愛中が典型例で、火照ることはあっても、寒々しく冷えることはないわけです。


心と体は表裏一体であって、体ばかりに終始していても片手落ちであるばかりか、温めるということが、かえって「熱を生み出せない自分」という消極的な印象を深層に刷り込むものであったら、逆効果にしかならないでしょう。

冷え対策が過保護の害を助長することがないように、冷えている自分を今一度見つめ直し、本当に望む生き方を発見する契機としていくところに、合目的的な人間の営みがあるように思います。