来し方行く末 | ハリーの養生訓

ハリーの養生訓

僕が見つけた養生

大学を卒業して、そのまま企業に就職する自分が想像できず、悶々と過ごしていたある日、本屋で何気なく手にとった野口晴哉の「整体入門」

こんな考え方があったのかと、目を開かれたと同時に、自分の身体を愛おしく感じることができました。

そこから、今の僕に至る運命が展開し始めるのです。

その頃は秋口でしたが、専門学校の願書を取り寄せ、試験科目の「生物」の勉強を始めたのが10月。その1ヶ月後試験でした。

我ながら拙速、無謀な決断でしたが、人生にはなぜか追い風が吹く時というのがあるもので、それはGOサインであることを確信していました。

高校、大学と武道に専心し、人間の身体について関心は深めていましたが、それが今こうして実を結んでいると思うと、つくづく人生に無駄はないのだと思います。

ついでに言えば、フリーター時代、ビルの警備員をしていたのですが、立哨という、ビルの玄関などでただ立って警戒するのを1時間、日に3回行っていたのですが、今思えば立禅、瞑想そのもの、浅慮な僕を神様はこうして導いてくれたと思うと、ただただ頭が下がるばかりです。

在学中、街場の治療院に勤める中で、様々な思いや葛藤を抱いているとき、たまたま大沢先生の著書を読み感銘を受けたことで、やすらぎの里で働きたいという思いが強くなりました。

まもなく求人広告を見つけましたが一足遅く、問い合せてみると、すでに数人の採用が決まり、もう募集をしていないということでした。

僕は不躾にも、大沢先生の考えに感化されたこと、やすらぎの里以外の選択肢がないことなどをしたためたメールを半ば強引に送りました。

そんな暑苦しい思いを受け止めてくれたのかどうかわかりませんが、「履歴書を送っていいですよ」と返事をいただきました。

まもなく、面談もかねて様子を見に来てはどうかと、一泊招待もしていただきました。

まだ20代そこそこの、経験の浅い若輩でしたから、切り捨てて当然だったのだと思いますが、なんとか補欠要員として採用していただける運びとなったわけです。

そんなおまけみたいな僕でしたが、気づいてみると同期はことごとくやめてしまい、一人残って今では古株のような顔をしています。

なんだか気の抜けたスタートでしたが、かえって肩肘張らなかったことが息長く勤める上で良かったのだと思います。

そんなこんなで、日々大沢先生の一番近くで、その背中を見て、思いや言葉に触れ、普段は気恥ずかしいので表にはあまり出しませんが、今でも感謝と尊敬の念は尽きることがありません。

誰よりも身近で、そして永きに渡り薫陶を受けた直弟子、一番弟子を自負している僕が、やすらぎの里の魅力を一言で言えば、大沢先生の人柄、これに尽きると思います。

治療家として、キャリアを積んでいけば、それなりに自信と確信に満ちてくることでしょう。

周囲に慕う人や治りはじめる人が増えてくるにしたがい、自分の技術はすごいんだ、自分が治しているんだと思い始めるものです。

次第に不遜、威圧的な態度や言動になってくるのを、貫禄や権威があるのだと見間違ってはいけないでしょう。

病気の原因は単純なものではなく、病気が治ることも肉体的な技術論で説明しきれないことを身をもって

知る者ならば、自分の周囲が治り出すということは、たまたま治るタイミングの人が集まったに過ぎないと考えるでしょう。

それぞれが人生において様々な経験を経て、気づき学ぶ中で、進化、向上していくことで、病気が必要なくなり、治癒という卒業を迎える時機に、お互いに、ただその場に居合わせたに過ぎないということなのです。

極論を言えば、病気とは自分の中で解決される問題であって、誰かに治してもらうことなどできないのです。

反対に、人を治してあげることもできないわけです。

治療家という職業に存在意義があるとすれば、その事実を知り、技術という愛と共感を表す方便をもって、人に安心感を与えることに尽きるでしょう。

結局、生身の人間と人間の交流、つまり理論や技術を介した肉体次元のみの部分的な交流でない、全人格的な交流を通じて、本当の意味での癒しと「やすらぎ」があるに違いありません。

虚飾に惑わされず、虚勢を張らず、ひとりの人間として真摯に、時にざっくばらんに向き合える場としての「やすらぎの里」の発展に、微力ながら力を尽くしていきたいと思っています。