自力と他力と健康と | ハリーの養生訓

ハリーの養生訓

僕が見つけた養生

「病気を治すためになんとかしたい」

誰もが思うことでしょう。

症状が辛ければ辛いほどに切実なものです。

その症状に負けて、命を投げ出したくなる時もありますが、それでも心の底には、健康になりたい、元気になりたい、という気持ちは最後まで残っているものです。

そうした、気持ちを受け止める健康法の世界があります。

その中で、自分に責任があるのだから、頑張れ、努力せよ、節制せよ、の「病気治し」の世界があります。

自力だけで立ち直れる人は、それほど難しい病気ではなかったのでしょう。

いつまでも症状に悩まされている人というのは、複合的に絡み合う要因から、肉体的あるいは生活上の歪みが強まり、もはや自分の力だけでは治せなくなってきているのです。

この視点はとても重要です。

なんでもかんでも自力で全うできるというのは、強者の論理、机上の空論であって、現実に即したものではないでしょう。

心や体がゆがんだまま、いくら健康に寄与する取り組みをしたところで、その心構えが間違っていたり、身構え、姿勢が間違っていれば、効果が出ないばかりか、弊害が多く出る恐れがあります。

一旦ゆがんだときは、自力だけで頑張ると余計に頑なになってくるという側面は見逃せません。

ただでさえ苦しいのだから広く冷静な視点を欠いてしまうのも無理もありません。

そんな時、他人というものが自分の前に現れて、鏡になってくれるのだと思います。

社会は一人では生きていけません。

一人で生きていけると考える人は、どこかが偏っているに違いありません。

他力を感謝して受けることは、人間としての基本とも言い換えることができます。

もちろん、他力だけに頼らせて、しがみつかせるようなあり方は、本当の他力ではないでしょう。

苦しむ者を前にして、ごく自然に、お互いの接触という行為が出てきます。

原初的な「手当て」であり、「ふれあい」です。

それを高度に医療化した指圧などの手技療法がありますが、これも、自力を呼び起こすような他力を与えることで、その真価が発揮されることでしょう。

「自分だけ健康になればいい」と、よいものを取り入れ、治療を受け、体操を一生懸命する。

こうした独りよがりな人間を作る他力であってはならないということです。

自力の限界を知り、他力の恩恵を受けることで、感謝の気持ちが生まれ、他人を良くしようという気持ちがおのずと生まれてくるという好循環の中にこそ、人間の健康の源泉があるのだと思います。