「見る技術」vol.3~美しい悪趣味、美しくない悪趣味~ | black kairitu

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デス師匠のweb連載Season3。毎月1日更新。コラム、レビュー、レポート、詩、ショートショート、日記など。増刊号、号外、休刊あり。

 私がどこかに書いたレビューを加筆・修正し、 まとめた「極東から映画・映像・DVDを観賞する『見る技術』」の第3回。今回からは、書下ろしとなる。
 私は、たまに見ている。私は、とにかく、たまに見ているのだ。ただ、最近は結構な頻度で。

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 『ア・ダーティ・シェイム』 

 「よ、待ってました!」
 「ウォータ-ズ!」
 中村屋的なことにもなるというものである。何せ、この『ア・ダーティ・シェイム』は、ピンク・フラミンゴやデスペレート・リビング路線の王道ウォーターズな作品だからである。日本では劇場未公開のため、私は待っていた。DVD化されるのを。発売できるかどうか心配しながらも。待っていたのだ。
 セックス革命を崇拝する一団と、アンチ・セックスの会との真っ向対決という何とも噴出さずにはいられないメイン・プロットに、様々な事件や映画を元にしたエッセンスをちりばめた、人間の性癖を一旦深く掘り下げ、掘った穴で落とし穴を作ったような作品。汚物崇拝の人間掃除機、幼児プレイの警察官、フードぶっかけニストなどなど。フェティシズム・マイノリティーの大図鑑。そこを、バリバリのコメディに仕立て上げるところが、ウォーターズである。ようなものといえるか。ソドムの市は、笑ってはいけない雰囲気はあるが、いちらは存分に笑って楽しめる映画だ。
 しかし、今回の見る技術はちょっと濃すぎるかもしれない。
 ちなみに、カプリス役のセルマ・ブレアの作り物の胸は、映画『チャイルド・プレイ』のチャッキーの人形を作っているチームが作っている。え、チャッキーを作っている人と一緒?チャッキー・ファンとしては、何かこう複雑な気もするが、笑える。なぜか、ウォーターズは、『チャイルド・プレイ チャッキーの種』に出演もしている。ウォーターズは、撮影現場でチャッキー、ティファニー、グレンが、ひとつのシーンで一緒にいつのを見て、ショウビジネス界にいて幸せだと思ったそうだ。
 チャッキー、ティファニー、グレン。うん、確かに見たいわ。それ。

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 『ハロウィン』 

 30年ぶりにリメイクされたこの作品。監督は、ロブ・ゾンビ。彼の音楽は好きであるし、ロブ・ゾンビ監督作品「マーダー・ライド・ショー」、「デビルス・リジェクト、マーダー・ライド・ショー2」も楽しませてもらった。しかしながら、本家のハロウィン・シリーズのファンである私としては、ゾンビ色の出し方が気がかりではあった。それほど、『ハロウィン』は完成されたものであるとともに、私の中で『ハロウィン』の殺人鬼マイケル・マイヤーズは、『悪魔のいけにえ』のレザー・フェイスと対を成す存在である。(ホラー四天王となると、これに『13金』のジェイソン、『エルム街』のフレディが入る。)
 確かに私は、主催したロック・フェスのタイトルを『テキサス・チェーン・ショウ」と名付けたりするほど、レザー・フェイスが好きだ。そのことについては、「極東から映画・映像・DVDを観賞する『見る技術』vol.1」に詳しいが、レザーフェイスが動ならマイケル・マイヤーズは静。昭和喜劇で例えるならば、レザー・フェイスが榎本健一で、マイケル・マイヤーズが古川ロッパ。どんどん分からなくなってきている。ただ、白いゴム製のハロウィンマスクに紺色の作業つなぎというマイケル・マイヤーズのいでたちは洗練されており、美しさとして随一だ。さらに、マイケルがもつものそれは。
 包丁。
 しかも、洋包丁、肉きり包丁という独特の風合いと鋭い形。これが、何ともいえない美しさを醸し出しているのだ。何といってもハロウィンは、「包丁」なのである。
 さて、包丁賛美はこれくらいにして、ロブ・ゾンビ版『ハロウィン』であるが、これが元祖ハロウィンを綺麗に踏襲し、さらにそれを新しく仕立て上げており、ゾクッとくるような秀作になっていた。
 しかも、すでに続編が決まっているという。ロブ・ゾンビ監督『ハロウィン2』はいかに。
 私は待っている。公開されるのを。今作のようにゾクっとさせてくれるのかどうか心配しながらも。待っているのだ。

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 『ソドムの市』

 今回の最後は、新たな発見があったこの作品である。ソドムの市。スカトロ、ソドミー、トランスベスタイト、まさに変態の郊外型ショッピングセンターだ。しかしながら、作品自体には政治的・社会的なメタファーが多分に含まれているとされており、挙句の果てには、この作品の完成後にパゾリーニ監督は謎の死を遂げる。
 どんな映画なんだ。
 バロック美術的な豪壮華麗な美しさの中にエロ・グロな部分が、コントラスト・スパイスとなって私たちの眼前 に聳え立つ。そういった意味では、この作品は、頽廃芸術、デカダンスの教科書的存在の一つといっていいのか。どうなのだ。わからないぞ。
 ただ、私が気になってしまったのが、主役ともいえるナチズムに加担する大統領、大司教、最高判事、公爵と名乗る4人のファシスト・グループを演じた役者の素性が凄いのだ。私は、その重厚・濃艶な演技からこの4人は、イタリアのベテラン俳優だと信じきっていたのだ。
 ところが、ちゃんとした俳優は公爵役のパオロ・ボナチェッリだけであり、最高判事役のウンベルト・パオロ・クインダヴァレは、作家である。まあ、作家というのはまだ分かる。しかし、後の二人が問題なのだ。
 まず、終始、目がイっていたド変態ソドミー大統領を演じたアルド・バレッティは、何と。

 「ラテン語教師」

 日本でいうならば、古典の先生である。
 「おい!」
 もうつっこみたいことが多すぎて。
 「おい!」となる。
 さらに、残酷無比な大司教役のジョルジョ・カタルディの本業はこれだ。

 「ローマの下町にある紳士服店の店主」

 え、喚きながらムチを振るっていた拷問魔が。
 
 「紳士服店の店主」
 
 じゃ、アイロンで焼印をしたりしろよ。いや、しなくてもいいけれども。その紳士服店で是非ともスーツを仕立てたい。