#200 ドラゴンクエストと私と【前編】 | ドラクエウォークな日々

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ドラゴンクエストウォーク、ドラゴンクエストタクトを中心に、ドラゴンクエストのスマホアプリをプレイしています。

みなさんこんにちは。流離いの旅人です。

 

今回は200回目という節目を祝してドラゴンクエストと私について語っていきます。

はじめに、今回無事に第200弾を迎えることができました。これも偏に本ブログをお読み頂いている皆々様のおかげに他なりません。本当にありがとうございます。昨今ではタイムパフォーマンスなる言葉が流行しているのに象徴される通り、時間というものに対して非常に厳しい時代へと変貌を遂げました。

以前から申し上げています通り、私にYouTubeなどの動画配信をする能力さえあればわざわざ文字化して掲載する必要もありませんし、読んでいるみなさんとて「ながら作業」で耳から聞き入れるほうが楽でしょう。これだけの文量ですからご覧頂いているみなさんはきっと読書好きの方が多いのかもしれません。

その一方で「隙間時間」という言葉もよく耳にします。事実私のブログのアクセス分析をしてみても視聴媒体はほぼスマホ、アクセス要因はほぼ検索となっていますから移動中や休憩中などに検索して見てくださっているのかなと予想します。

 

普段は武器性能やこころ性能などを中心に連載していますが、今回は節目ということで本ブログの根底にもなっている「ドラゴンクエスト」と私がいつ出会い、どのように歩みを進めて来たのか、私のドラクエに対する熱量は一体どこから来ているのか、そんなことをお示しできればドラクエファンの方々とより緊密になれるのかなと思います。

 

今回はテーマを10個洗い出しました。これでも絞ったつもりですが、すべて一回の記事で書くと論文レベルになるため、2回に分けてお送りします。どうぞお付き合いください。

 

それでははじめて行きましょう。

 

【ドラゴンクエストとの出会い】

私が初めてドラゴンクエストをプレイしたのは1991年のこと。1983年生まれの私は当時小学2年生でした。同じ町内に住む1学年上の女の子の家でファミコン版のドラクエⅢをプレイしたのがきっかけです。

1990年11月にスーパーファミコンが発売され、私はクリスマスプレゼントとして両親に買ってもらいましたが、それまで自宅にゲーム機はありませんでした。そのためゲームは友達の家で遊ぶもので、とりわけファミコンは憧れの的でした。

ドラクエⅢはその子の家に行った時にしかプレイできないことや後にその子も引っ越してしまったため、ドラクエⅢは結局クリアには至りませんでした。

 

【子供心にはきつかったドラクエⅤ】

自分の所有物として初めて買ったドラクエは1992年9月発売のドラクエⅤです。私はこの直前の夏休みに白内障の手術で入院しており、退院祝いで両親がゲームショップでゲームソフトを3本買ってくれたのですが、そのうちの1本です。ちなみにもう2本は任天堂の「スーパーマリオカート」(同8月発売)と当時エニックス(現スクェア・エニックス)の「ソウルブレイダー」(同1月発売)です。マリオカートは有名ですがソウルブレイダーを知っているというそこの貴方は猛者ですね。(笑)

 

しかしドラクエⅤは子供心には辛いストーリーであることはみなさんもご承知でしょう。少なくとも小学3年生にはしんどかったですね。幼くして父と死別、しかもその死に方も死に方、さらには10年に渡る奴隷生活、結婚と妻の出産を経てようやく報われたと思った時に起こった妻子の誘拐、黒幕を打ち取ったと思いきや8年間の石化、花嫁の石化を解き乗り込んだ闇世界で今度は母との死別。こうやって文字にするとさらにシンドイですね。

 

そして発売以来続く花嫁論争、みなさんは誰と結婚しましたか?

「論争」と聞くと何やら荒れ模様に見えますが、特に争うほどのことではないというのが私のスタンスです。結婚イベントが来たら前日の夜に教会でセーブデータを2つ(DS版は3つ)に分割し、それぞれと結婚して普通にクリアしました。まぁ何回もやりたくない人は誰か1人を選ばないといけないのでしょうが、私は複数回クリアが苦ではありませんでした。どうしても1人に絞れと言われればあの人ですが、みなさんにも思うところがあると思いますのでここでは明言は避けることとします。

 

【発売日に並んで買ったドラクエⅥ】

1988年2月発売のドラクエⅢは社会現象を巻き起こし、東京都では教育委員会が学校に対して「学校をサボって買いに行かないよう指導すること」と通達するほどだったようです。

1988年2月はまだ4歳半ですからさすがに並んでいませんし、先述の通りドラクエ自体に出会ってもいませんが、時を経て私もそんなことを仕出かしました。29年も前の話なので時効も成立しているでしょうからここで明かしちゃいます。(笑)

1995年12月発売のドラクエⅥ、小学6年の私は朝から並んで購入しました。スーパーファミコンのソフトもどんどん値上がりし、ドラクエⅥは確か10,000円を超えていた記憶があります。お小遣いは貯めていましたが小学生には高い買い物です。

 

ドラクエⅥはナンバリング作品では最多回数クリアしたと思います。少なくとも10回以上クリアしているはずです。自分自身でも鬼畜クラスでやり込んでいるなと自負できるのがクリアベールをクリアして空飛ぶベッドを入手後、魔術師の塔で全員勇者まで育ててからホルストックに向かうムーブです。多分自分アホですね。(笑)

ただ、思わぬ落とし穴もあります。それはホルストックの「しれん3」はデイン耐性持ちでギガスラッシュが効きません。全員勇者にして「俺強ぇぇぇ!」「この先永遠にギガスラッシュ祭りしていれば優勝!」と思っていた私はそっと枕を濡らしたのでした。

 

【ドラクエの虜になったテリーのワンダーランド】

1998年9月にゲームボーイのソフトとして発売された「ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド」なんといってもこれですよね。

その後はイルルカやジョーカーズシリーズも発売され、直近のDQM3を除いてモンスターズシリーズはすべてやりました。ちなみにドラクエにはこの他にもトルネコやビルダーズ、ヒーローズ、トレジャーズなどたくさんのスピンオフ作品がありますが、実はモンスターズ以外は全くやったことがありません。目が悪いからというのもあってアクションものやターンシステムではないものがやりづらかったというのが要因です。

まぁ昔とは違って現代はテレビ画面もデカいので、やろうと思えばやれると思いますが、今度は年齢的な問題や据え置き機で遊ぶ時間が捻出できないという要因もあります。

 

テリワンはその後プレイステーションでもリメイクされ、ドラクエⅦのモンスターが実装されたほか、カラーになったことでより臨場感が増したことも人気が確固たるものになった理由なのかなと勝手に分析しています。

ちなみに案の定ですが、私はキングスライムを最強にすべく配合に配合を繰り重ねました。もちろんラスボスまで連れて行きました。「どんだけ好きやねん!」というツッコミは一切受け付けておりませんので悪しからず。(笑)

 

【挫折を味わったドラクエⅦ】

2000年8月発売のドラクエⅦ、発売延期を繰り返し前作からなんと5年もの間隔が空きました。世界中に広まったFFと日本国内に留まったドラクエ、ライバル関係にあったこの2作品の明暗がはっきりしたのがここだったと言えるでしょう。実際、私もこれまで頑なにスクェアのゲームには手を付けませんでしたが、プレステ版でリメイク発売したFF4/5/6(3枚組での発売)を機に、ファイナルファンタジーやロマンシング・サガなどスクェアの作品にどっぷり浸かっていました。

 

ドラクエⅥ発売時は小学生だった私にとって一番ゲームをしたい時期の中学生をスキップする形で5年が経過し、ドラクエⅦ発売時はすでに高校2年生、夏場の発売ということや進学校だったこともあって、翌年の受験をにらんで夏季講習の真っただ中で発売したドラクエⅦはプレイする時間も限られ、それに加えてそもそもストーリーが長いためクリアは難航を辿りました。

 

そしてみなさんもドラクエⅦで挫折したという方が多いのではないでしょうか。本作は各地に散らばっている石板を集め、石碑に填めることでストーリーが進行するわけですが、石板がどこにあるのかわからずに詰んで辞めた(諦めた)方をたくさん知っています。

今でこそインターネットが当たり前の時代で、石板の在処やボスの倒し方などの攻略情報なんて攻略エンジンでいくらでも検索できますが、当時そんなものはありませんから自力プレイか友達に聞くくらいしかありません。そして石板の在処をいちいち覚えている人もいませんから自然と詰みに追い込まれた方が多いのだと推察します。

 

また、ドラクエⅤ同様にストーリーがかなりネガティブなのでいくら高校生になっているとはいえ、私は苦手でしたね。今でもドラマや映画などを見られない理由でもありますが、こういうセンシティブなものが一切ダメでして、悶々とドラクエⅦをプレイしていました。

オルゴデミーラも気持ち悪くていい大人になった今でさえ直視不能ですから(苦笑)

 

【まとめ】

ということで前編をお送りしてまいりました。みなさんの年齢やドラクエとの歩みと比較していかがだったでしょうか?リンクするという同世代の方、懐かしい・もう働いていたという諸先輩方、まだ生まれてないという壮年層の方、いろいろあると思いますが、逆に言えば世代を超えてこれだけ繋がれるドラゴンクエストというタイトルの凄さを物語るには打って付けの企画なのかもしれませんね。

 

今回は以上です。それではまた次回。