で、
物語を描く。
新作を描く。
ブログ上で、「草稿」を綴った。
カテゴリーも決めず、
ランキングにも参加せず、
・・・これは、ホントに「草稿」だったからな。
一応、「公開」にはしてたけど、
「限定」にはしてなかったけど・・・
ってか、
限定にしようにも、
「アメンバー」って、
まだ、読者、ファンってのがいないんだから、「限定」にしようがない・笑。
それに、
まだ、
「読ませよう」
「読んでもらおう」
そんな意識もなかった。
とにかく、
「草稿」を描き切ってしまうこと。
それが目的だった。
・・・・で、
想像通りで、
誰も読まない・笑。
PVって、1日に2とか3とか・笑。
「いいね」
とか、ついてたりするけど、
それは、
みーーーんな、「営業目的」って「いいね」だった・笑。
・・・・で、
一応描き上がる。
・・・・そこから、練る。
ストーリー展開は決まった。
問題はこっからだ。
「物語」
素人は、
「ストーリー」を描く。
ただ、「ストーリー」を描いて、「物語」を描いた気になっている。
違う。
「シナリオセンター」
通うことによってわかってきた。
教えられた。
「面白い物語」ってのは、
「面白いストーリー」じゃない。
問題は、
大事なのは、
「主人公」
「キャラクター」だ。
「主人公が何をしたか?」だ。
「ストーリー」という舞台の中を右往左往する、
主人公のキャラクターが大事なんだ。
・・・・手前みそだけど、
これが素人の作品。
「面白いストーリー」だけど、
「面白い物語」にはなっていない。
これじゃダメなんだという例・笑。
・・・例えば、
ストーリーに「戦争」を選んだとしよう。
その舞台には「色」はない。
その舞台を、どういう切り口で描くのか。
「悪」なのか「善」なのか・・・
「希望」なのか・・・・
「喜劇」??
「悲劇」???
・・・・主人公は何色だ???
それが、大事なんだと教えられた。
・・・・・今回の物語・・・・
これは・・・
こう描き上げた方が面白いんじゃなかろーか・・・・
・・・・練っていく。
それで、
物語は、
「悪者」の物語と決めた。
前にも言ったけど、
「物事」
には、
必ず「二面性」がある。
「正義」
「悪」
必ず、両方の成分がある。
「正義の戦争」などありはしない。
片方にとっての「正義」は、
反対側から見れば、
必ず「悪」だ。
世の中には、
「絶対正義」もなければ、
「絶対悪」もない。
・・・・・そもそも、
世の中に、
「絶対」というものは存在しないんだ。
同じストーリーを描くのでも、
どちらの「目線」で描くのかによって、物語は違ってくる。
ボクの大好きな映画。
日本映画の金字塔。
「砂の器」
これは、
「悪」の物語だ。
主人公は、
「殺人犯」だ。
・・・・しかし、
主人公は、
「悪」になりたくてなったわけじゃない。
真面目に・・・・
真面目に・・・
他人に言えない苦労をしながら人生を歩んできた。
・・・・そう、
他人には、絶対にあかせない「苦労」を背負って生きてきていた・・・・
だから、
やむにやまれず・・・・
その、
他人には、絶対にあかせない「苦労」のために、
殺人を冒してしまう・・・
この映画には、
「悪者」が存在しない。
「善人」しか登場してこない。
・・・・・強いて言えば、
観客。
世論こそが「悪者」だ。
その世論のせいで、
主人公は「悪」にならざるを得なくなったんだった。
・・・・そして、
主人公は、
「善人」によって、
「善意」によって追い詰められていくんだった。
主人公の「殺人犯」に殺されるのは、
「養父」
・・・・正義の代表といっていい「警察官」だ。
・・・・しかし、
その、養父の、警察官の、真直ぐすぎる「正義」が、
刃となって、主人公を「殺人犯」へと追い詰めていってしまう・・・・
主人公は、
「殺人犯」という「悪」であるにもかかわらず、
観客は、
主人公に感情移入し、
感動し、
涙を流す。
涙が、止まることもないほどに流れ出る。
・・・・・ボクは、
ボクの「砂の器」を描き上げる。
主人公の行動は「悪」だ。
・・・・・しかし、
その悪の所業には、
やむにやまれぬ心情があった。
観客に問う。
・・・・・貴方ならどうするのか?
・・・・・これを、貴方は「悪」だと非難できるのか・・・・??
貴方たちは、
手放しで、
この主人公を「悪」だと罵れるのか・・・??
そういう物語にすると決めた。
ブログを作り直す。
題名が決まる。
ブログのジャンルが決まる。
ランキングに参加する。
こうして、
ボクは、
ボクの、
「砂の器」
世に放ったんだった。