永訣の朝 ~この空を飛べたら~ | 九月の風<The September Wind> ~懐かしき音楽に乗せて~

九月の風<The September Wind> ~懐かしき音楽に乗せて~

日々の平凡な出来事や心に響いた出来事を、懐かしい音楽に乗せて綴っていこうと思います。

早いもので、親父が介護施設に移ってからもう二カ月・・・


この部屋が終の棲家であると言ってみても、自分はまだ入院中で、
いずれは自宅に帰ると思い込んでいる親父に心の中で詫びながら、
この週末は、実家の整理をしました。

もちろん親父には、家を引き払うことは言えてませんが。



家の整理を始める前に心に決めていたこと・・・それは、


どんなに懐かしいものでも、心を鬼にして全て捨ててしまうこと
誰の力も借りず「捨てる」という行為を自分だけでやり遂げること



・・・この二つでした。


理由は、いつまで経っても過去から抜け出せないままでは、
自分自身の心に、妹を助けてあげることが出来なかった後悔と
親父を自身で看てあげることができない懺悔の気持ちが残り、
これからもずっと、決別することが出来ない、と思ったからです。



そう思い込んでいたからでしょうか・・・、

朝から一心不乱に片付けていたら、時間の感覚もないままに夜が更けてきて、
ものすごい数のゴミ袋が積み上がりました。その数、88袋!!

そこには、小さい頃の家族の写真や、親父や妹が着ていた服もあって、
最初に心に決めてなければ、捨てられない想い出がたくさんありました。



一息ついて、何気に部屋の隅の机を開けた時です・・・



机の引き出しの奥から、あの子の日記が出てきました。
日記と言ってもその日の想いを、ほんの一言ずつ綴った大学ノート。


心の何処かで、「見てはいけない、みればきっと心が戻ってしまう」
・・・そう思いながら、静まり返った部屋の中で一頁ずつ読みました。



病気の事、親父の事、僕の事、其々に対する妹の想い・・・


たった一行の積み重ねでしかないそのノートには、妹の思いが
まるで、あの子の顔の表情まで思い浮かべることが出来るほど、
活き活きと綴られていました。





最後のページを開いたとき、こんな詩が書かれていました・・・。


うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる




・・・おそらくご存知の方も多いかと思いますが、

宮沢賢治が書いた「永訣の朝」という詩の一行です。


賢治の病気の妹が、まさにその日に逝こうとしている間際、
みぞれをとってきてほしいとせがむ妹を綴っている詩・・・



その意味は、


次に生まれてくるときは
今度はこんなに自分の事ばかりで
苦しまない様に生まれて来ます・・・



・・・一般的な訳としては、そんな感じでしょうか。




でも僕にはそれが、


今度生まれてくるときには、
にぃが私の事ばかりで苦しまないよう、
元気な姿で生まれてくるね・・・



そんな風に思えてなりませんでした。




・・・その詩を読んだ途端に、それまで張りつめていた気持ちが
一気に崩れていく感じがして、気が付いたら誰もいない部屋で、
僕は泣きながら妹に詫びていました。


50を前にした大の大人が、ただ声をあげて泣きました。
理由もなく涙が止まりませんでした。




冷たい雨が降る中、夜が明ける頃にはようやく気持ちも落ち着いてきて、
そのノートをかばんにしまいました。捨てることが出来ずに。




今夜の一曲・・・

あの子の部屋に置いてあったCDから



中島みゆき『この空を飛べたら』







・・・涙と一緒に何かと決別できたような、そんな朝でした。