こんにちは
先日、映画「AKIRA」を観ました。
画像:amazonより
漫画も買いたいな・・・・
子どもの頃はただ、気持ち悪い話だな〜
と
恐怖でしかなかった最後のシーン。
今見ると、深いし、すごいな・・・となっています。
音楽も映像もストーリーもエンドロールのフォントのセンスまで色々やばい。
世の中の闇の炙り出しにもなっていて、、
スピリチュアル系、超能力、新興宗教、過剰な研究者、支配権力の濫用、能力の濫用に対しての警告を感じました。
特に、気をつけないといけないのが、潜在能力開発。
もちろん、誰しも、直感力や潜在能力を持っているとは思います。
現代では科学が発達してあまり使う必要がなくなって
退化して「ない」と思っているだけ。
ただ、そういう能力開発を実生活がうまく行ってないからと、
そっちで成功したい、人より秀でたい。
と開発する人たちが少なからずいることも事実。
「AKIRA」では、鉄雄がその象徴。
鉄雄は、喧嘩に弱く、主人公の金田に頼り、金田の赤いバイクに憧れる少年。
彼は自分の意思で開発したわけではないですが、
能力が開発されると手のひらを返して、仲の良かった金田を罵ります。
その他にも、
官僚でありながら、反対勢力を支援して自分のやりたい方向に持ってく政治家。
人を傷つける、危険と分かっていながらも、自分の研究を貫きたい科学者。
私も少ない経験の中でも、研究者、wikipediaに載っている実業家、高学歴、能力者の人たちを、仕事やプライベートで接してきました。
実際会って話したり仕事してみると、人間性や精神性が、尊敬できない ![]()
という人たちも、、結構いて
自分の思い通りにならないと感情的に怒鳴ってくる人たちが結構いました。
力や権力、お金を持つと、それに溺れて、壊れていく。
今の世界を揺るがすエプスタイン界隈もその一つかな〜と思っています。
もちろん、名誉があっても、世の中や弱者の為に活動されている方もいらっしゃり、
一緒にお仕事で協力させていただいて、ありがたいと思っています。
では、そこの違いってなんだろう?と考えてみた
・他人軸(表面的なこと:見た目・肩書き・財力等の権力・他人の意見)が価値基準
・自分を本当の意味で大切にしているか。自分が自分の存在を認め、満たしているか
・家族、他者、弱者を自分と同じように大切に思って接しているか
ではないか?と思いました。
実は、現代レイキ(臼井レイキ)を習う時に、何度も学ばされるのですが、
・何かが見えたり感じたりしてもそれに恍惚としない
・怪しいものではない
・ただ自分は、エネルギーの通路になり淡々と行う
「レイキは特別ではない」
「特別な能力ではなく誰もができる」
というものがあります。
それを勘違いすると、能力開発や願望実現などの変な方向に行ってしまうのですよね。
なんだかそれに似ているなと思いました。
そもそも臼井レイキは、精神性向上が最終目的で、
目の前にある出来事をどう捉えてどう生きるか。心を落ち着かせる技法。
体の不調や病気も、ストレスからくることも多い。
それが健康と安心につながっていくという考えです。
話をAKIRAに戻します。
最後に子どもたちは、こう言います。
「鉄雄君には無理だったのさ。もちろん僕らにもAKIRA君にも」
「今の僕たちには大きすぎたんだ」
「でもいつかは私たちにも...」
「もう、始まっているからね」
「あなたの友達の・・・」
あくまでも私の解釈ですが、
「大きなエネルギーをコントロールできる人たちが現れてくる」
ということではないかと思いました。
実は私自身、心を落ち着かせる瞑想を毎日やっていますが、
落ち着かせることがそんなに大事なの?と疑問に思いながらやっていました![]()
(リラックスするし気持ちいいからいいか〜と思ってた)
考えてみると、確かに心が落ち着いて穏やかな状態だったら、
イライラしたりしないし、
争いも起きないし、心身の不調も起きにくい(不慮の事故は別として)
心が満たされているから、権力に溺れることもない。
今は、私が穏やかな時間が増えた分、子どもや夫のイライラもうまくかわして、
穏やかな話題に変換することもできるようになることが増えました。
まだまだかわしきれずに、受け取ってしまったり、
一緒にイライラすることもまだまだある
(修行不足)
そして、夫へのイライラも、自分が自分にしてあげていないことが原因だなと気づくこともできました。
そんな精神性を鍛えてコントロールしていくことの重要性を
映画AKIRAを見て、
悪い例がたくさん出てきてくれたおかげで、理解できたし、繋がりました。

