「 あぁ、わたしは本当に、
ひとりじゃ生きていけないな 」
「 ひとりで生きてことなんて、
この人生で、ただの一度も無いな 」
腑に落ちて、
実感して、
あたたかい涙が
頬を伝うのを感じていました。
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髙井佐友里です。
これまで何度も何度も、
人に支えられてきたことを感じてきた
人生でした。
ご縁にも本当、恵まれているし
すばらしい人たちに囲まれいて、
何て しあわせなんだろう、と。
でも昨日、また思い知らされました。
『 わたしは本当に
ひとりでは、何もできないな 』
『 人に支えられ、活かされ、生かされている 』
『 ありがたいなぁ。感謝だなぁ』
フトした瞬間、降りてきて、涙があふれました。
どこかでまだ、
“ ひとりで がんばってきた!” と、
こころが、嘆き悲しんでいたようです。
つらかった、過去の日々。
誰も助けてくれない!と怒り悲しみ泣いた日々。
だけど、そのとき感じていたことは
当時 感じ続けるには あまりにツラすぎて、
こころの奥に奥に、
しまい込んだのかも、しれません。
感じないように。
感じないように。
上手に隠すことはできたかもしれませんが、
それらの感情が、無くなる訳ではありません。
こころの奥の奥の方で、渦渦している。
表層の わたしが、
感情をキャッチ(知覚)するのを止めただけです。
奥に奥に残された感情たちは、
ずっと静かに、渦渦してくれていたのでしょう。
それが昨日、ある出来事をキッカケに、
やっと顕在化してくれたのだな、って感じました。
その出来事とは、
“ 人が離れていった ” と、
わたしが感じるような出来事でした。
悲しい、悲しい。
とっても、さびしい。
・・痛い。
たくさん感じては、涙が止まりませんでした。
でも、そのままにして、泣いていたら、
フトした瞬間に、氣づいたのです。
「 離れていった、ことにしている? 」
似たような状況で離れていった人は、
他にもいたからです。
でも、他の人のときには
“ 離れていった ” とは、思わなかったのです。
『 次のステップに進んだんだな、おめでたい! 』
くらいに想って祝福していたのに、、
今回だけ、違う??
不思議だな。。
何が違うんだ???
じぶんの内側に問い続けてみたら、、
“ あぁ、それほどに大切な存在だったんだな ”
“ 可愛い子どもが巣立っていくような、痛みだ ”
そんなことを、思いました。
人が離れていった(ように感じる)、、
という事象を使って、
かつて奥の奥にしまい込んだ
痛みや苦しみ、
怒りや悲しみを流してくれたんだな、と
何の脈絡もなく、フッと感じて、
フッと感じた割に
あまりにフィットするので、、
そうだったんだな~と、
感じ認めるしかありませんでした。
そうしたら!
“ 離れていった(と感じる) ” 人に対して、
ぶわーーーーっと、感謝が湧き上がったのです。
わたしにとって とても大切な人が
“ 離れていった ” と感じることによって、
わたしは かつての痛み苦しみ、悲しみを
『 今!』感じ取ることができたんだ、って。
離れたように感じた、
大切な あなたの存在が、
わたしのこころに留まっていた感情を流し、
新しい感情を迎い入れるスペースを創ってくれた、と。
これに氣づくまでは、
「 わたしの何かが至らなかったのかなぁ 」とか、
「 何か沿わないことがあったかな 」とか、
色いろを考えてしまっていました。
考えているうちは、感情を感じられません。
考えるのを横に置いて
感じることに集中してみたら・・
いつか隠ししまい込んだ感情を取り戻し、
昇華することができたんだ、と分かったのです。
『 その人が離れていったどころか、、
実際は その人に助けられたんだな・・ 』
そんな風に、感じました。
わたしが感じずに押し込めた感情を解き放つ、
そのキッカケを大切な人は、つくってくれた。
ここで初めて、
痛みではく、感謝の涙があふれました。
そして冒頭の氣づき、、
「 ひとりで生きてことなんて、
この人生で、ただの一度も無いな 」
『 いつも、人に生かされているんだな 』
これまでで一番、深いところで腑に落ちました。
今後は、これまでよりも
一段と深い感謝を すべてに送れそうだ、と
感じています。
わたしを一回り深く成長させてくれた
一度は痛み切なさを感じた出来事に、、
心から感謝しています。
そして こうして、都度つど、
じぶんの深い部分を扱い、楽にしてくれる
宇宙の采配、神さまの美しい采配にも大感謝なのです。
ご愛読、
いつも心から感謝しております
あなたにすべての善きことが
なだれのごとく降り注ぎます。
あなたに愛としあわせが
なだれのごとく降り注ぎます。