高校、大学共に物作りを専門的に学んでいたため、自分の周りはアートやデザインに多少興味がある人間で固まっていました。

地方の企業に就職し、一般の人達(物作り以外のバックボーンを持つ人達)との関わりが増え、驚いたことがあります。

金とセッ○スの事しか頭にない男性がこんなにも多いのかという事です。

一言目には「給料上がれ」二言目には「あいつがエロい」

飲みの場なら良いでしょう。下世話な方が面白いです。しかしいつもいつも欲望の話をされるのは勘弁して欲しいところです。

 

学生時代、デザインや建築等の講義を受けていれば自然と「どうすれば人に喜ばれるのか」「どうすれば世界は豊かになるのか」という思考になります。どんな他の学問でも結局はそういった所に繋がると思いますが、直接的にいわゆる「綺麗事」を考え、答えを出す学問だったと思います。なので聖人君子にはなれなくとも、多少世のため人のために生きていたいと常日頃思うのです。だから真面目な話を学生同士で結構しました。

その下地の上にシンプルな「ものづくりが楽しい」という気持ちが乗っかり、懸命に作業を進めると「良い仕事」ができる気がします。

今は会社を辞めて一人で色々と作っていますが、自分が楽しい上に人様に喜んでもらえる。つくづく幸せな仕事だと思います。

 

しかし自分の仕事を好きになるというのは中々珍しい事なのでしょう。人生の1/3以上を締める仕事という行為は一般的につまらないです。

つまらない中でも、職場の仲間が大好きだったり、愛する家族が家で待っていたり、仕事後に没頭できる趣味があったりすると頑張れるのかもしれませんが、、、まぁ「職場が好き」「家族を持つ」「趣味がある」というどれかしら叶いそうな項目も、現代の30代以下男性に当てはめて見ると案外難しそうです。

 

未婚で且つ夢中になれる仕事や趣味が無かったら。そりゃぁ「金持ち」という抽象的な何かを目指しつつ、溜まった欲を女の子にぶつけるしかないか。動物の本能としてはそっちの方が正しそうです。

 

なんだか見下す様な言い方になってしまいました。決して馬鹿にしているわけではありません。

金とセッ○スの話しかしないからといって、その人が「不幸せ」とは限らないし、「嫌な奴」でもないからです。ここが難しいのです。

「さっさと良い車乗って良い女とやりまくりてぇ」とほざく会社員時代の先輩は、毎日笑顔だったし面倒見が良い人でした。自分もいつも気にかけてもらい、何度もご馳走になりました。

そんな良い先輩にも、先程述べた様な「綺麗事に即して生きる」ということが中々理解されないのがもどかしいです。「ほーん、お前は偉いなぁ」で終わりです。

 

なんなら別に真面目な話だけしたい訳でも無いんです。アニメでもゲームでもyoutubeの話でも良いんです。ただワンピースの話をしていると「誰が好み!?ハンコックと見せかけて結局ナミがいっちゃんエロいっしょ!え!?ロビン派?それは無理してるでしょ~」となるのは勘弁して欲しいんです。

無理に下品な事で盛り上がるのは疲れるんです。

 

(僕がビビにお尻踏まれたい派である事は内緒です)

自分は物のデザインしています。自身オリジナルの商品を作ったり、他社様の商品開発のお手伝いをします。

以前は企業でデザイナーをしており、それはそれは馬車馬のように働いていました。毎晩夢の中でも働いてしまうくらいに仕事が生活を侵食してました。これは良くないと思い、少し貯金ができたので会社を辞めました。約1年前のことです。

 

昼前に起きて、日が出ているうちに洗濯物や買い物をすまし、気が向いたらチョロチョロ作業を行う。夜は映画を見たり音楽を聴いたりしてダラダラと過ごす。土日は家に友達を呼んでたこ焼きを作る。こうして文に起こしてみると、自分が憧れていた理想の生活を今はできています。

 

しかし、なぜか満たされないのです。一応好きな物作りは続けているし、人とも多少会っているし、丁寧ではないが素晴らしい怠惰な暮らしをしています。なぜでしょう。やった感が無いからだと気づきました。

 

日付を越してもなお毎日スケッチを描き、サンプルを作り、図面を起こしていたあの時は、ストレスや疲労と共に「やった感」が自分を満たしていました。しょぼしょぼして開けられなくなった目も、やすり作業のしすぎで指紋がなくなった指も「あぁ俺頑張ってるな」と自己肯定感を上げるこれ以上ない材料でした。

 

この自己肯定感があったからこそ今まで自分は生きて来れたのかもしれません。

背が低い、虫に触れない、免許はあるけど運転できない、身近な女友達をすぐ好きになっちゃうけど上手くいった試しがない、ファーストキスは学生時代地方のインターン帰りに行った風俗店のカンナちゃん。私はこんな人間です。この間26歳になりました。

 

そんな自分でも、課題や仕事を頑張っていた自負があるので下を向かずに毎日過ごせていました。

これを自ら述べるのはとんでもなく恥ずかしい事なのですが、漫画「NARUTO」で、先生がロック・リー(ゲジ眉でおかっぱ頭の不器用なキャラ)に言い放つ「お前は努力の天才だ」という言葉を自分に言い聞かせていました。

 

今はそんな自分から「努力」の部分が抜けています。修行もせずに夜中までゴロゴロしているロックリーを誰が愛してくれるのでしょう。

このままだとあらゆる面でドンドン拗らせていきそうです。なんだかまずい気がしてきました。

 

ここからもう一度頑張って立派なデザイナーになるか、半年程前話題になった「デザインが気に食わない」と街の旗をスプレーで塗り潰して逮捕された自称デザイナー(78歳)のような道を辿るか、今人生の岐路に立っているかもしれません。

 

ぼちぼち本気で働くってばよ。

 

 

物が好きです。

 

ジィーッと凝視して、そーっと撫で回してからガシッと掴んで、時にはクンクン嗅いでみたりします。何もやらしい話はしていません。

スマホもパソコンもSwitchも好きですが、せっかく現実世界に生を受けたからには、五感を大事にして毎日を過ごしたいものです。

 

仕事でもパソコン漬けなのに、休憩時にはスマホをいじり、家でもスマホをいじります。私もこのテキストをスマホと睨めっこしながら打っています。画面に脳が支配される事がいかに悪い影響を及ぼすかは置いておいて、シンプルに目が疲れてしまいます。

中毒性があるこのブルーライトの世界から解放されるにはやはり物が必要だと思います。

 

数年前からミニマリストという言葉を耳にするようになりました。最低限の物しかない整然とした空間は、確かにコスパが良いしカッコよくもあります。しかしあの暮らし方はスマホに生活を売る事が前提な気がしています。

部屋の中に彩り、つまり娯楽性が無いため、虚構の世界に飛び入る事しかやる事がなくなりそうです。やや暴論ですがそれだけだと人間疲れてしまうのでしょう。ミニマリストという言葉は認知されているものの、そこまで流行らないのはそういう事だと思ってます。

 

自分の家には家具、工芸品、フィギュア、ぬいぐるみまで様々なお気に入りの物が置いてあります。そんなに高価な物でもないですし、綺麗にレイアウトしている訳でもないです。それでも自分が所有している物を愛でていると「やっぱり良いなぁ」とつぶやいてしまいます。ほんの少し気分が上がるのです。

 

何もアナログな生活に回帰しようとしている訳ではないです。ただ、中々辞めれないネットの世界から自分を引き戻し、一息つくために、物理的に存在する「物」が必要だと思うのです。光の刺激から逃れ、無機質な硬い板を手放し、自分の好きな物にそっと触れると、何か落ち着くような気がします。

自分が過ごす部屋を「ただ寝食を行う箱」と捉えるか「お気に入りに囲まれた自分だけの基地」と捉えるかによって生活は大きく変わると思います。

 

そんな思いからある物を作ってみました。

部屋を飾る象徴でもあるような「花瓶」という存在を触覚でも楽しめるようにした物です。

外側は「フロッキー加工」という毛の繊維が生えるような加工を施しています。ベロア調というかシルバニアファミリーというか、とにかく触っていて気持ちがいいです。

小さい手の平サイズなのでちょっとした窓辺や洗面所の脇など、狭いスペースにも居場所を確保できます。

中身は3Dプリンタで作っており、構造にも拘っていますがそれは割愛。

 

スマホに疲れた時に是非サワサワしてみてください。

 

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