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いずみです
無償の愛が…
愛をもって…
波動を上げれば…
いい波動でいれば…
周波数を上げて…
そういう言葉にこだわらなくなりました
興味がないというか、
多くの人に広まっているものって、本質的なものがごっそりと抜け落ちてるものばかりだからでしょうね
抜け落ちたものだから、広まりやすいっていうこともできるかなと!
そういうものって、手にしやすく感じさせてくれるので
愛とか、波動とか、周波数とか?
あとは…エネルギーとか?
私もそういう言葉にいちいち反応して、何か不都合なことが起きれば
「愛を送らなきゃ!無償の愛だ!愛をもってすれば…」
「波動が低いんだわ!高く!そして強くしなきゃ!そのためには、波動上げる○○が必要ね
」
「良い周波数に変えないと!きっとよくない周波数にいまなってるんだわ!」
「エネルギーが淀んでるんだ!浄化、浄化!!」
いまとなっては恥ずかしいお話です

そんな情報に振り回されすぎてる私は、考えるってことができなかったんです!

相手にとってそれは愛ではなく、余計なお節介かもしれませんよね
無償の愛で…って無償なんだから、何も求めてない状態であり、それを言葉にするってことは??
良い波動って、周りの人にとっても良い波動なんでしょうか?自分だけではありませんか?
良い周波数についても、それは現状維持しやすいってことではありませんか?
「これをすれば~!!!!」が強すぎるような感じがします
その中に居たときなんて、こんな風に観察し、分析したり、考えることなんてしたことがありませんでした!!
こんな視点にも気づきもしませんでした笑
気づいたとき、いままで自分が牢獄に入っていた気分がしました

「これが正しい!」
「これが正解なのよ!」
という牢獄に入っていて、それがあたかも本当に普通であり、やって当然のことかのような…
牢獄生活をしている状態がホメオスタシスとなり、
その牢獄内がコンフォートゾーンになっていたという…
知らないまま、
気づかないままでいたら一体私はどうなっていただろうか!?
恐ろしい話です

外側の視点って世界を広げてくれるので、
現状を否定するような情報だったりします
知っているか?知らないか?
その差はかなり大きいってことです
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