ヒーリングサロンDesertRoseです。
ゴールデンウィークの気持ちの良い朝。



青島産のカメさんたち🐢




最近、思い出していたのが沖縄の伊是名島に行ったときのこと。


この頃のレイキとの出会いは、人との出会いであり、下見に来ているのねと、言われていたわたし。


先祖崇拝、先祖供養、祖霊信仰と言うと、私的には沖縄が熱い。特に、伊是名島の夜は、龍がうねり、迫力があったので印象に残ってもいる。


魂の闇夜のとき、霊的な存在が怖くて仕方がなかった。そのとき、奄美出身の大阪にいらっしゃる霊能者の方に、「貴女は神に愛されてますよ。」と励ましてもらったことがあり、心休まるひとときだった。あまり詳しくはないのだけど、その時に、どちらかと言うと貴女はノロタイプだと教えてもらったことがあり、そのときの感情が浮かび上がってきてる。私の自己肯定感に関する感情の昇華の時だと意図しておきます。


ノロ、ユタ、沖縄の信仰について興味のある方は下記をお調べください。必要な方に繋がることに思いを馳せてのチャネリングとなってるので、情報共有しますので、あとで私も読んでみます☺️🍀


Wikipedia〜琉球における信仰〜沖縄県と鹿児島県奄美群島における信仰ー道教、神道、キリスト教、イリキヤアマリ信仰、
琉球神道ー沖縄の祖霊信仰、ノロ、ユタ、日本神道との類似性 他。
MEET THE TREASURE OF IZENA(尚円金丸と巡る)
「神道」とは

そもそも、「神道(しんとう)」って何でしょうか?

それは、この世には八百万(やおよろず)の神々がいて、人々が神社を建ててそれらを祀っているという、日本固有の信仰のことです。

「日本神話」の基となった「古事記」では、天皇家は神々の末裔であるとされています。

農耕が始まり、集落ができ、大樹や岩を「ご神体」と見立てて崇め、
五穀豊穣や無病息災、村の存続を願ったりするために社(やしろ)を建て、やがてそこが神域となり、その入口に鳥居が設置されるようになった――というのが、大まかな神道の成り立ちです。

「君の名は。」では、1200年前の隕石落下跡地が宮水神社のご神体となっていましたね(笑) そう、つまりあれのことです。

「琉球神道」の特徴

琉球王国にもかなり似た思想があり、大和神道(琉球神道と比較するためにここではこう呼ぶことにします)では、
太陽神「天照大神(アマテラスオオミカミ)」が天皇家の祖にして日本国民の総氏神(そううじがみ)――ちょっと難しい話になってきましたね!(笑)

要するに、神々のトップ的存在になっていますが、
琉球では「火神(ヒヌカン)」という、同じく太陽(もしくは火)の神を中心に崇め奉っています。

なので、仏壇のご先祖様と同じように、もしくは神棚のように、県内の家庭では台所でヒヌカンが祀られているのです。

また、大和神道では神々の住まう世界を「高天原(たかまがはら)」、琉球神道では「ニライカナイ」と呼んでいます。

ニライカナイは遥か東の海の果て、もしくは海・地の底にある理想郷とされ、豊穣や生命の源であり、生者の故郷にして死者の魂(マブイ)の還るところと考えられています。

ニライカナイに還った魂は死後7代で祖霊神となり、一族の守護神になると信じられている点は琉球神道固有のものですが、本土でもご先祖様を敬い大切にしようという考え方がありますよね。

琉球王朝は祭政一致(宗教と政治が一体化していること)の方針で国を治めていたため、今でも県内各地に御獄(ウタキ)という社があり、神事はそこを中心に行われていました(御獄は神社と同じ聖域とされているため地元の人以外は立入厳禁となっています)

農耕カレンダーにも即した神事は旧暦に則って、現在でも伝統行事として受け継がれています。




龍龍龍龍龍龍龍龍龍龍龍龍龍

本寿院 (徳川家慶側室)〜13代将軍の生母

家定の叔父にあたる、家慶の兄弟の松平 斉民は、江戸時代後期の大名で、美作津山藩8代藩主で、確堂の号で知られている。慶応4年(1868年)5月3日、江戸開城に伴い新政府より田安亀之助(徳川家達)の後見人を命じられ、その養育に尽力し、天璋院と固い信頼関係あった。


徳川家茂 日本の江戸時代の武士、第14代江戸幕府征夷大将軍

実成院 (徳川家茂生母)〜御三家紀州藩藩主徳川斉順の側室

徳川慶喜 江戸幕府の将軍

吉子女王〜水戸藩第9代藩主・徳川斉昭の御簾中(正室)。第10代藩主・徳川慶篤、最後の征夷大将軍・徳川慶喜の母


天璋院 日本の幕末・明治時代の女性、征夷大将軍・徳川家定の正室


幾島〜江戸幕府13代将軍・徳川家定の正室・篤姫(天璋院)付きの御年寄。名字は朝倉、名は糸



       宇宙の母の祝福


         三保子