滝山の中腹に位置するのが瀧神社の本社。
自衛隊の演習場で立ち入り制限があるので
遥拝所が建てられている。
熊野権現とは、熊野三山に祀られる神のことであり、特に主祭神である家津美御子(けつみみこ)(スサノオ)・速玉(イザナギ)・牟須美(ふすび、むすび、または「結」とも表記)(イザナミ)のみを指して熊野三所権現、熊野三所権現以外の神々も含めて熊野十二所権現ともいう。
熊野本宮大社の主祭神の家都御子神(けつみこのかみ)または家都美御子神(けつみみこのかみ)は阿弥陀如来、新宮の熊野速玉大社の熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)または速玉神(はやたまのかみ)は薬師如来、熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)または夫須美神(ふすみのかみ)は千手観音とされる。
三山はそれぞれ、本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土、那智は南方補陀落浄土の地であると考えられ、平安時代以降には熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになった。
熊野本宮大社・熊野速玉大社では十二柱の神が以下のように祀られているが、熊野那智大社では「瀧宮」(祭神 大己貴命(飛瀧権現)、本地仏 千手観音)を第一殿として、以下一殿ずつ繰り下げとなり、中四社・下四社の八神を第六殿(八社殿)に祀り、あわせて「十三所権現」となっている。
(Wikipediaより抜粋)
ヒーリングサポートを受けてのぞんだ
国産みの神様のライトワークは、
熊野古道が故郷の祖父につけてもらった名前に思いを馳せながら、自分の癒しに入った✨
実の父方のご先祖さまに、
「親が離婚をしても親は親、
貴女に供養してほしい」の
メッセージをもらったことがあるわたし。
嫁ぎ先のご先祖さまにも、
「貴女は供養する人」のメッセージを
もらったことがある。
「苦手なことに、自分の使命が隠されている。」
中山神社、美作の国の神様方からの依頼の
ライトワーク、
「人権に関するライトワーク」を受けるために、実の父親、家系、名前を選んできたのだと思った。
遥拝所からみた那岐山
那岐山の名前の由来
那岐山は神様の名前を冠してお祀りしていた神聖な山です。
「那岐」は、表音文字で、“なぎ”と読みを表す文字です。大昔の日本には文字が無く、中国から文字が入ってきたのは4~5世紀のころではないかと言われています。そのため、この地区の周辺では、発音“なぎのやま”また“なぎのせん”を那岐山、奈義山、名木山、名義山、諾山等と当て字で表記されて現在に至っています。
日本の神話に「古事記」「日本書紀」があり、口伝の日本歴史を表音文字で記録されています。この中で、日本の国を生み、あらゆる神々を生んだもっとも重要な神として、イザナギ(男性神)とイザナミ(女性神)が登場します。夫婦神は全国で信仰され、天から降り立って国生みをされた伝承が残っています。イザナギは古事記では「伊邪那岐いざなぎ」と記され、日本書紀では「伊い弉ざ諾なぎ」と記されています。
当地もその一つの地域であり、大神岩は降り立たれた岩と伝えられており、神の名が彫り込んであります。古くは氏神様として山頂で奈義の神をお祀りしていました。久常、高円、成松地区の氏神である諾なぎ神社のご祭神は伊弉諾尊、天照大神、素戔嗚尊です。奈義の神すなわち那岐山の神はイザナギノミコトの意味です。
諾神社の社伝によれば、「那岐山の山頂、神尾峰に座していた那岐大明神であり、後世に南麓の不老の森に降ろされて諾神社と呼ぶようになった」と言われています。その後大正8年に現在の成松の地に遷座されています。
ちなみにイザナミノミコト(伊い弉ざ冉なみ尊)は、自衛隊演習場内ある宮内地区の不老の森の宮内神社(旧名 冉なみ神社)に祀られています。
(那岐山パークゴルフ場 Nagisan Park Golf Links
思わず涙が出た場所
先祖供養の先生の誕生日にて🎂
日本人は自分で生きているのではなく、神さまの恵みと祖先の恩によって、そのお蔭で生かされていると考え、そのことに感謝する生活をしてきて今日に至っている。
愛と感謝を込めて
小川三保子(氏原三保子)