娘と新しい学期にむけて、神社で参拝をしました。
年中紅葉がある神社。
節目には手を合わせ、心を鎮める場となってます。
あいかわらず歯が痛む。知覚過敏。
痛みの強度は実在感の強度というか。
身体の部位はいつも影にある。
光があたり、意識にあがるのは、変化がある時、それは苦痛や痛みを伴なうことが多い。
痛いから病んでいるというより、なんらかの不調和への気づきであったりする。
痛い!と簡単に言葉にできるけれど、
それはどのような痛みかをつきつめると象徴的なものだったり、表現は個独自のもので十人十色。
全体を共時的にみることで病を意味として問うこともできる。
痛みって不思議。
痛みに思いを馳せていたら幼少の思い出がよぎった。痛みつながりの連想。東大寺大仏の写真集。
これは東大寺戒壇院の四天王、増長天に踏まれてる邪鬼さん。
幼稚園のころ東大寺大仏の写真集をみるのが密かな楽しみで、質感は硬く朽ちているのに、ぎらぎら生きてるような躍動感があり、そのコントラストに軽く興奮してる変な子どもでした。
特に戒壇院の四天王は動と静が絶妙であり、邪鬼のふまれっぷりが鮮やかです。
その邪鬼をじっと見てると苦痛に歪んでいるように見えた邪鬼の表情が、喜びをたずさえているようにも見えてくる感じがありました。
幼心にもそれが不思議で仕方がなく、このページにいきあたると、まってましたとばかりに邪鬼の表情を凝視していたという記憶があります。

