知り合いの本棚にあった本をぱらぱら読んでると、その中に河合隼雄さんと笙の演奏家である宮田まゆみさんの対談があった。
読み進めると、奏者の宮田まゆみさんが、笙を始めるきっかけとなった体験が書いてあり、興味深く読んだ。
~引用~
それは、ちょうど新緑がはじまるころで、一週間ぐらい降り続いた雨がやんだ夕方、西の空の雲間から光がさしていたんです。
それを電車に乗って、ドアのところに立っているときにみていたら、急にまわりの音が聞こえなくなり、その光の音が聞こえたような気がしたんです。
その聞こえたというか、言葉では表現できない感じですけど、なんかドキドキしてきて、自分の内側から揺さぶられて音が出てきたっていう感じがして、その音が笙の音だったようなきがするんです、~中略~
自宅まで歩いて帰るときも木の葉がきらきらと光っているんです。
~引用終わり~
彼女は
「ピタゴラスはこの世に生きている人間で、宇宙のハーモニーを聞ける唯一の人だ」とプラトンの言葉を、音楽美学という授業の際に読んでからそのような宇宙のハーモニーを聴きたいと思っていたそうだ。
そして、前出の体験になったそう。
私も、同じような体験をしているのを思い出したから印象深い。
わたしは宮田さんのように光ではなく、さまざまな人が、植物の絵を描いたものをいっせいに並べて観た時だった。
絵からさまざまな音が一斉に流れてきた。響きのなかで天界の音だと直感した。
笙の音色がわからなかったので、動画を探して確かめた。
天界の音の記憶は、まさに笙から出る音色そのものだった。
驚いてしまった。
人には色合いとともに音もあると思う。自身の音、様々な個性があり、音が響き合い不思議な調和が生まれる、そんな音。
その後も何日かは、世界がいつもと違っていて、やはり輝いていて、はやるように世界をながめた。
共感覚はないので、ある意識状態になったからなのかなとぼんやり思うのみ。
非日常を体験した時に、言語化するのは難しい。うまくできたとしても固まる感じがあるから人に話すこともできない。
あれからその音は聞いてないけれど
、その音は、いつもここに在り響いているような気がします。
