お相手はツインレイ?
いえ、 ツインレイではないです。
それでも「ツインレイの世界」に足を踏み入れた者として、「ツインレイの世界」を通して、 物を見ています。
彼に出会って、「何かがおかしい」と思うようになり、 自分の居場所みたいなものを探すようになりました。
彼を追いかけているようでいながら、 自分を追いかけ続けている中での学びを書いています。
「自分の在り方を問う」という意味で、スピリチュアルは哲学と似ていると思う。
なのでスピリチュアルの世界を懐疑的に受け止めず肯定的に見るようにしている。
では、
似非スピリチュアルはどうか?
何をもって似非というか?
「似非」とは、言葉検索をすると「本物ではない、質が悪い」という意味だが、スピリチュアルの本物と似非の線引は入り口は難しいように思う。
点と点は同じであることが多く、それらの繋ぎ合わせ方により似非になったりしているように感じるから、似非とは言えど元は本物から派生しているのだと思う。
ということで、似非でも点を教わり学びになることもある。
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似非スピリチュアルを広めていると感じる方は、点と線の両方を教えようとする。
本物スピリチュアルを広めていると感じる方は、点しか教えない。けれども時にはヒントになる点をも併せて教えてくれる時がある。
私がスピリチュアルにハマった理由は、「何が正しいのか教えてほしい」というところからだった。
例えば10苦しくても耐えてきたが、ある日突然20の苦しさを味わった時に線を見せられ、弱さや未熟さから飛びつき従い真似たくなった。
自分は何者でもない。ただ自分なだけ。
そこがブレて似非にハマっていくが、似非にハマるのも自分である。
そしてそれを肯定する道に進むかどうか。
似非スピリチュアルの世界を知ったからこそ本物を理解しようとする姿勢を持てて、それらを通して「省みる」ということを学んだ。
・人を無碍にしてはいけない
・自分の気持ちに気づくことの大切さ
・怒りや不快との向き合い
・無理をしないということ
・感謝すること
・自分は未熟者だということ
・人や自分を赦すということ
・そして前に進むということ
似非からは直接学んだところと、反面教師として学んだ部分があるが、本物スピリチュアルは甘やかしがないので、似非から入り準備が整ってから本物に導かれる人もいるのだろう。
「どんなことであれ失敗は財産」と教えてくれた人がいた。
綺麗事だけを並べられても心には響かないから、多くの経験を通して気づいていくことができる。