スピアンチの私が

「ツインレイの世界」

に足を踏み入れているお話です


彼に出会った直後からの

不思議体験を通して

自分との向き合いが始まりました


彼に出会ってから今日までの数年間、私はうまく生きることが出来なくなりました。

なぜなら「違う」と感じるところが方々に出てきたからです。



また、「このまま流れに任せて生きるのが怖い」というものもありました。


それは、当時は有難いことにたくさんの仲間に囲まれて、いつも私を励まし寄り添ってくれる人が多くいてくれた中で、なんとなく傲慢で自己中な面を隠し持っている感じが、自分の中にあることに気づいてしまったからです。


〈傲慢で自己中〉について、自分のことですが、表立って認識していませんでした。


「今の私は傲慢だったな」と認識しているうちは良いのですが、ある時、誰かが人の二択で私を選んでくれた時に、ニヤリとしている自分をうっすらと感じてしまったことがありました。


「私は選ばれる存在だ」を叶えられて、また他人との比較で「自分の方が価値がある」にほくそ笑んでいる私自身を感じてしまった時に、『私のこの土台でこのまま進んだら恐ろしい人になる』と思ったのです。

他人を踏み台にしてのし上がろうとする自分にはなりたくない、が最優先でした。


同時に、「こんな(心が)綱渡り人生な生き方を辞めたい、何故あの人はあんなに穏やかなのだろう、何が違うのだろう」と考えていたりもしました。




今だからいえるのですが、幼少期〜彼に出会うまでの(多くの悩みに向き合う状況になるまでの)私の人生はサバイバルなものでした。自分にムチを打ちまくって、「奮い立たせて生きることが正しい」と思い込んで進んできたのです。



そこに違和感を覚え、何が正解かも分からず歩みを止め、思うように生きられなくなって、のたうち回って苦しみましたが、その中で多くのことを諦めるようにしました。


諦めるとは、=手放す、になっている時もあり、全てが正解ではないけれども、諦める事で結果的に道が開けた面は大いにあります。



それでふと、今、私は、自分に優しく出来るように変わっていることに気づきました。

私は「自分の味方」になれたんです。


「今回の事はこうした方が良かったな」

「あれはダメだったな、反省しよう」

「辛かったな」「嬉しかったな」

と自己肯定するばかりでなく一人の他人として、自分を時には律しながら寄り添えるようになったことで、心に余裕が生まれました。



サボっている自分、怠けている自分、出来の悪い自分を見ても、「これが今の私」と受け入れられているので、「もう少し頑張ろうよ」と思う私もいるけれど、決して責めてはいないんです。


自分責めを辞めたとき、他人にも優しくなれるものだと実践で気づかされましたが、疲れない、無理しない、頑張らない、世界はとても平和でした。




人が変わるってとても難しいことだと思います。

それでもこれからの長い人生を思えば、遠回りしてでも他に入れた方がハッピーになる世界観があります。


自分に優しくは、間違いなく大切な一つです。